「あたしシャブ中でした」
家族関係の行き詰まりから、ひとときの逃避のつもりで手を出した覚醒剤──それが地獄のはじまりだった。
元覚醒剤常習犯、阿佐見玲子。
バツイチ・一児の母でもある彼女は、二十六才で覚醒剤を常習、二度の逮捕や、精神病院への強制入院などを経験。
この物語は、そんな彼女の転落と再生の軌跡をたどった実話である。(取材/文 石原行雄)
とても非常識な母と娘
あたしの家では、あたしが遊びに出かけるときは、最初の一回は必ず母が同伴して、チェックすることになっていた。
"視察"をして許可が下りたら以後もそこで遊べて、許可が下りなければそこには二度と行ってはいけないことになっていた。もちろん、当時のあたしはそのルールに従っていた。
初ディスコのときもそうだった。
「レイ子、今週の金曜、夜あいてるよね?」
寮の先輩の問いにうなずくと、
「じゃあディスコに連れてってあげるよ」
寮生の何人かで連れだって行くので、ついでにマスコットのあたしを"デビュー"させてくれるという。いつかは行ってみたいと思っていたので、思ったよりも早くチャンスが訪れたことを素直に喜んだ。
「先輩、ありがとうございます! ついて行きます!」
お礼のあとに、あたしは当然のように続けた。
「母も連れて行っていいですか?」
我が家のルールを説明した。ちょっぴり悪い遊び場に行くというのに、決まりを忠実に守ろうとする従順なあたし。実家を離れて暮らしているのだからバレるわけもないのに。
「お母さんが厳しいのはわかるけど、いくらなんでも......」
今にして思うと、先輩はそのときギョッとしていたような気もする。
「でも、そうしないとダメなんですよ。ずうっとそういう決まりだったから」
これを破るとどんなに大変なことになるかわからない。想像を交えて説明すると、
「まっ、最初の一回だけなら仕方ないか。それでオーケーが出れば、逆に親公認で遊べることになるんだもんね......」渋々ながらも納得してくれた。
金曜日の夜、ディスコ行きのメンバーは寮食の晩ごはんを手早く済ませると、町に繰り出した。
「本当はもっと遅い時間のほうが盛り上がってるんだけどね」
あたしの母も連れて行く手前、あまり時間が遅いとまずいだろうと、先輩たちが気を遣ってくれたのだった。
ちょっと早めにディスコに着くと、すでに母が待っていた。
当時流行っていた蛍光色のボディコンスーツを着た女性や、イタリアかどこかで作られたダボッとしたシルエットのソフトスーツを着た男性たちがたむろするディスコのエントランスから、ちょっと離れたところに立つ母。
服装は白いブラウスとベージュのジャケットに、膝下十センチのダークグレーのスカート。いつもと変わらず教壇に立つときのようなきちっとした服装で、でもそれがディスコという場にふさわしくない服装だってことは、ディスコに行ったことのないあたしにもなんとなくわかった。
あたしと母は、その夜の芝浦で一番浮いた存在だったと思う(写真はイメージです)
(つづく)
取材/文=石原行雄
闇フーゾクや麻薬密造現場から、北朝鮮やイラクまで、国内外数々のヤバい現場に潜入取材を敢行。
著書に『ヤバい現場に取材に行ってきた!』、『アウトローたちの履歴書』、『客には絶対聞かせられない キャバクラ経営者のぶっちゃけ話』など。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/ishihara-yukio/