『好きに生きろ』
オレの地元尼崎を全国区へと押し上げたのは、今も最前線で活躍するダウンタウンの2人だった。
30年前にして、既にダウンタウンの活躍には、目まぐるしいものがあった。16歳のときだ。
東京ラブストーリーの影響を強烈に受け、その余韻を引き摺っていたオレは、どうしてもヒロインを務めた鈴木保奈美さんに会いたくなってしまった。夜中にである。思案の末、同級生の友人、カートンを連れて一路、東京へと向かうことにしたのだった。
もちろん、鈴木保奈美さんとアポなんて当然なかった。従って東京に着き、保奈美に会うには、まず、ねぐらを確保することが最優先事項となった。
東京と言えば、当時、地方からすると、「いいとも!」がアルタで放送されていたので、歌舞伎町というイメージがあった。
歌舞伎に行けばなんとかなるだろうと、簡単に考えていたのだ。そして、現に簡単になんとかなってしまった。
当時のコマ劇場前には、ローカル尼崎市民からすると、ここは毎日が大晦日なのか?と錯覚するほど、大勢の人々でごった返していた。
オレもカートンも無職だった為に、所持金といった粋なものは、ほぼ持ち合わせていなかった。
そこでやむにおえずナンパという手段に出たのである。
「ダウンタウンみたいな話し方だね」
三浦さんはそう言って、クスクスと笑った。
そこから三浦さん宅のロフトを拠点に、鈴木保奈美さんに会う為の極秘プロジェクトが練られたのである。
バカだったので、尋常のない行動力があった。だが、バカゆえに知能が足りなかった。
SNSも普及されていない時代だ。とりあえず、TV局の大道具のスタッフあたりに潜り込めれば、保奈美がやってくるのではないかと考え、実際にフジテレビと日本テレビに向かってみたのだが、保奈美どころか大道具のスタッフとしても、採用してもらえなかった。夢破れるである。
挙句にテレビ局からの帰り道、僅かな所持金をスロットですってしまっていた。
「少年たち〜ダメだったの〜?」
2階のロフトで不貞腐れていたオレに、クスクスと笑いながら三浦が声をかけてきた。オレはキッと三浦を睨みつけた。
「やかましわい!お前、電気屋を呼んで、そのビデオを直しとけ言うたやろが!何やっとったんじゃ!」
緩やかな時代だったとはいえ、そこは三浦邸である。確かまだ滞在二日目くらいであった。
今のオレでも思い返すと、さすがに少し引くぞ。
暴君と化したオレを宥めるかのように、カートンがTVの配線を触りだしたのであった。
そこから随分と時が流れ、AbemaPrimeに出演した時のことだ。ホテルに戻るとカートンからLINEが届いた。
「ブラボー!観たで!遂にあの時の夢が叶ったやん!」
その時のゲストは鈴木保奈美さんではなく、矢口真里さんであった。何も夢は叶っていない。
苦笑いしながら、オレは「おおきに〜」のスタンプを返したのであった。
尼崎庶民からすると、ダウンタウンを超える存在はいない。この先もそれは変わらないだろう。
だが、世間の評価は別として、どうせなら、あのダウンタウンの2人ですら、尼崎でやらなかったことをやってやろうと思っている。
その思いに様々な形で少しでも携わってくれた人々を数えると、実際に1000人は軽く超えるだろう。
たかたがオレである。恩返しなんて大それたことは出来ないけれども、関わってくれた人、関わってくれている人、これから携わってくれる人たち。本当に1人1人を抱きしめたいくらい感謝と感動は抱いている。
世はコロナである。だからこそ、そこからでも出来ることに、意味や価値があるのではないだろうか。
コロナ禍に限らず、何かに理由をつけて、諦めるのも絶望するのも容易い。だけどもだ、オレは諦めたり絶望することをやめた。
好きに生きると決めた時から、心は折らないと決めて生きてきている。なので人生を諦めるということはない。
常に芽生える不安や弱さ、そして満足感と上手く寄り添い生きていくくらいなら、倒れ切るまで働いて、誰が褒めてくれなくとも、最後に自分で自分を褒めてやる方が、きっと納得できるはずだ。
30年前。
三浦さんは、当時20歳くらいだっただろうか。本当に失礼なクソガキだったので、申し訳ない。顔すら思い出せない。だけど、三浦さんが過去を振り返り、あの時のことを思い出せば、どうしようもなさ過ぎて、思わずクスリと笑ってしまうくらいの思い出は、残せたのではないかと思っている。
(文・沖田臥竜)