2022年が幕をあけた。昨年は映画「ヤクザと家族 The Family」の公開から始まり、今尚、お陰様で好評の「ムショぼけ」に明け暮れた一年だった。
久しぶりではないだろうか。振り返ってみてこんなにも一年が長く感じたのは。
思えばもう何十年も、こんなことはなかった気がする。
結果的に全てが充実していたかどうかは別として、それだけさまざまことがあった一年であったと言えるのだろう。
そのさまざまが、今年も忙殺へと埋め尽くしてくれている。
まずは小説だ。ドラマが好評だったお陰で、小説「ムショぼけ2」の発売が既に決定している。
これから私自身がどれだけ自分自身に叱咤激励できるかにかかっているのだが、予定ではー鉄は熱いうちに打てーの格言通り、3月...には全国の書店へと届けたいと考えている。いや届けますとも。
そしてもう一冊。秋に出版が決まっている小説である。既に小説「ムショぼけ2」同様に、第一回目の〆切が目前に迫っているので、はっきり言おう。
寝てる時間が皆無である。何だったら、この2作品で今年のスケジュールがほぼ埋まり切っているくらいだ。
なぜならば、秋に発売予定の小説は既に映像化が決まっているからである。
名乗りを上げてくれた出版社自体も、文芸に置ける初めての映像化ということで、私の小説を出すために、新しい部署まで立ち上げてくれることになった。小説家としてだ、ペンを握る者として、これを冥利に感じない者はいないだろう。
そしてこの作品に置いては、異例とも言える編集者をつけないということも納得してもらった。
「ムショぼけ」同様に、私たちがそれぞれの役目に就き、一つのチームとなって世間へと放つのである。
やる以上は他ではない。まず作品を産み出す側として、誰よりも情熱を注ぎこまなくてはならない。まだまだ言えないことばかりだが、去年末からは、映像化に向けたプロジェクトがスタートしている。
作り手としては、次は「ムショぼけ」を超えてほしいという想いもありはするが、「ムショぼけ」は「ムショぼけ」で情熱を捧げて作り上げた作品である。どちらが上とかには、多分なりはしないかもしれない。
実際、ドラマ「ムショぼけ」の続編を望む声も少なくはない。だが結局、やるかやらないかで考えると、今のところはやらないと思う。
あれはなんと言えば良いだろうか。携わってくれた全員が全員、強い情熱を持って取り組んでくれたからこそ、完成したの作品であって、時代背景もそこに重なっていた。
コロナ禍にあっても、想いや情熱があれば、人の心に残る作品を作ることができるのだ、という気持ちが作品に宿っていたのだ。
取り巻く環境的にも少数精鋭で挑んだ現場であった。
コロナの影響で、撮影自体が中止になる現場も出てくる中で、チーム「ムショぼけ」は、しぶとく生き残り、撮影期間中、誰もコロナに感染することもなく、乗り切ってきたのだ。
永遠に続くドラマを作ることをテーマとしてスタートしたプロジェクトだったが、それは作品自体そのものが、永遠に観た人々の心に僅かでも残ってくれれば、続編を映像化させなくても良いのではないかという心境になっている。
あの夏はやはり私の中で、特別だったのだ。
それに今は先にも触れたが、それどころではない。
小説としての続編が控えているし、次の作品もあるのだ。例え今年で全て燃え尽きても良いという気持ちでやっている。
それが終われば、また何かを作りたいと思うかもしれないし、その時に時代が求めるならば、私の意志など多分、関係ないだろう。
単純な話し、小難しいことを並べてみたが、それだけ小説を映像化させるということは、さまざまな事情。もちろん金銭的なことを含めて大変なのである。時代が求めるとは、突き詰めるとそういったものが全てクリアにされる状況のことで、焦る必要はないのだ。
初めて映像化の仕事をしたときに、綾野剛さんから「沖田さん〜映画の仕事はどうですか〜?」と「ヤクザと家族 The Family」の現場で聞かれ、その過酷さに「嫌で嫌で仕方ないです...」とか細い声で応えた。
彼は笑いながら、「最初はみんなそう言うんですよ〜。でもね、それがだんだんとクセになってくるんですよ〜」と言われ、舘ひろしさんからは「先生〜どう?なれてきた〜?」と聞かれても「帰りたいです...」と応えた私は既にいない。
どうやらクセになってきたようである。
少なくとも去年の自分だけは超えたいと横になりながらだけど、思ってはいる。横になりながら思っている時点で、ダメそうな予感がひしひしと伝わってくるのであった。
(文・沖田臥竜)