彼の死で今回、私は強く感じたことが2つあった。一つはSNSやYouTubeだ。情報化社会において、今やSNSは必要不可欠となっている。
個人的に私はSNSの中でもTwitterがすごく嫌いで、その想いはドラマの中にも小説の中にも投げかけている。劇中歌の中にもだ。
Twitterの瞬発力は確かに今の時代とマッチしいる。Twitterが世論となり、反響が起きることもあるのは事実だ。嫌いだと言いながらもプロモーションとしてのツールとして私も現在、使っている。
だが、TwitterやSNSで見ず知らずの人間を蔑ませたり、ネガティブイメージを定着させれても、いいねの数やリツイートの数で、実際に困っている人を救うことはできない。それはどれだけ世の中が変わってもだ。
私は彼の死で今回、改めてそれを再認識させられた。
そしてもう一つは週刊誌だ。年々、時代とともに週刊誌は衰退の一途を辿っている。
これが時代の流れというものなのだろう。
だがそれだけが本当に原因なのか。
今回、私は彼の死が世間に広まり始め、知り合いの新聞社や週刊誌の記者から電話があった。
最初にーご冥福をお祈りしますーと言われたあと、取材だけについては、日頃お世話になっている記者たちにも全て、今そっとしていて欲しい、と丁重にお断りさせて頂いた。
私も週刊誌で仕事をさせてもらっている人間だ。記者の立場だって十分に理解できる。
ーたかたが週刊誌がまた適当なことを書きやがって!ー
と言われれば、こちらの気持ちや苦労も知らずに、と頭にもくるし、闇営業問題時代には出版にも携わり、過去には週刊誌でも仕事をした経験があるコメンテーターらが、
ーどうせ反社からお金をもらって記事にしてんすよ!ー
と事実無根の発言をされ、芸人にはーなぜ、今更こんな動画出てきて理由が知りたい!なんなんだ!ーと言う発言をされたので、その番組のチーフプロデューサーと席について、話し合ったのも私である。
のちにそのコメンテーターは使わないと降板することになった。今では地上波で観ることはまずない。
TVで身勝手なことをいう芸人らにも、それならば私がいくらでも話してやる...ともなった。
なぜならば、私たちは私たちで、一生懸命に仕事しているのだ。
そこにはそれぞれ自負も矜持もプライドもある。バカにされれば、だったらとことん書いてやる、と誰だって思わないか。
そのくせ、自分たちの宣伝としては利用するのだ。それは筋が通らないだろう。
ただ、その原因も週刊誌側。一部の節操のない記者らのせいであるのも事実だろう。
今回、彼の死を扱ったのは、警視庁三田署であった。三田署はその場で自殺と判断しているのだが、警察発表をしないとしていた。そのため、マスメディアが彼の死を三田署が扱っていることをまだ、月曜日の時点では掴めていなかった。
そうした中で、ある記者から連絡があった。
要約すれば、生前、彼をー2度取材させて頂きお世話になったので葬儀が行われるのなら、是非、参列させて頂きたいです!ーと、いった内容だった。
そのため私は彼に三田署に行けば確認できることなど、さまざまなことを伝えた。
それが媒体名などは書かないが、彼の死を1番に記事にしたところである。
そもそもその記者とは、過去に取材を申し込まれたことで知り合い、ある程度の意思の疎通は図れていたと思っていた。
だが、媒体が変わると一切、連絡しても電話にすらでなくなり、2年後また今の媒体に戻ってくると、何の悪びれもせずに、ご無沙汰しております!と連絡するような性格だった。
それを知った同じ職場の同僚が、私にいつも謝罪してくれていたことなど、その記者はもちろん知らない。
そのあともその記者は、彼の周りにTwitterなどのDMを送って取材しよう、と懸命だった。
そのスクショが私に届けらるのだ。
嫌悪感しかなかったが、その姿は本当に故人を偲んでのものと言えるだろうか。
それを指摘すると、各メディアの誰が見てもー失礼と口を揃えるー謝りかたであった。
媒体名や記者の名前を記さないのは、せめてもの情けではない。
そんな不毛なやりとりをしても、彼が生きかえることはないからだ。
ただ私の知る彼は少なくともそういうことがあると、必ず私に連絡してきて、ひどく非難していた。
警察が発表しないと言っているのだ。もう少し人としての配慮が必要ではないのか。
そういう一部の記者がいることで、週刊誌が蔑まれたり、ひいては週刊誌の衰退の一因にもなっているのではないか、と彼の死で私はそう感じさせられた。
紙媒体の衰退を時代のせいだと嘆くのではなく、刺すときはもちろん刺せば良い。私も何度もバカにされれば抜くときは徹底的に抜いて、どことでも向かい合うし、そうしてきた。
ただ、忘れてはいけないのは、それを読者が望んでいるかどうかだ。対象者を置き去りにした不毛な戦いの先にあるのは、衰退だけである。
また私が、ー気にいらないーと言い出してること知れば、彼は何と言うだろうか。
書くということは当たり前だが、苦しくもあり辛くもある。理解されないことや誤解されることだってある。
彼の死で3日間まともに寝れなかった。
だが、私はしぶとく生きてペンを握り書き続ける。それは誰のためにでもない。私は私のためにだ。
「沖田さんらしいですね〜」
と、彼はいつか言ってくれるだろうか...。
(文・沖田臥竜)