(リード)現在、小説「ムショぼけ」がAmazonでは売り切れ入荷待ち状態となり、ドラマ「ムショぼけ」では好評につき、第1話~第4話までノーカットでプレイバック(11月12日(金) 25時59分~27時50分ABC放送)が決定。まさに関西ローカルからムショぼけタイフーンが巻き起ころうとしている。その仕掛け人ともいうべき原作者の沖田臥竜が緊急寄稿。沖田が見据えるその先とはー。
今から20年前。初めて書いた小説のタイトルが「ムショぼけ」で、思えば遠くにきたものである。
その時に、本を意地でも出してやる!ーというのが根底にあって、書くのが辛くて苦しいときは、いつも私が書いた小説が映像化され、劇場で見ず知らずの人が涙を流しているシーンを想像し、自らを震え立たせてきた。その時に最終目的に掲げたのが、東スポでも取り上げられた芥川賞をとるということだったのだ。
実際、現実的に芥川賞を獲れるかどうかが問題ではない。自分の目標をはっきりと宣言できるところまでは来たというところに、私的な意味があるのだ。
だってそうではないか。賞とか成績とかに背を向けて歩んできたのが、私の人生だったのだ。
今さらそれを改めてかしこまるつもりはない。
ただ目標は届かない方が頑張れるというのが、自論にあって、簡単に芥川賞が獲れてしまえば、もう小説を書く必要がなくなってしまう可能性だって出てくる。
ただ、3畳一間の薄暗い剥き出し便器の環境で「ムショぼけ」というタイトルで初めて小説を書いたとき、目を凝らしてもまったく見えなかった光が、今ははっきりと見えるようにはなってきている。そこにはよく頑張ったな、と思うところもあれば、本心から望んだり納得できていることばかりではない。それが良くも悪くも世の中、社会というものなのだろう。好きなことをして暮らしていけるほど、世の中は甘くはない。特に仕事は誰しもがそうではないだろうか。それでも食べていける、暮らしていける、そこに本来の意味があるのだ。
書き手とはいわば裏方である。とにかく私は人前に出るのが大嫌いだ。ただし、そんな私の本心なんてどうでも良いというのを私が誰よりも理解している。やりたいとかやりたくない、できる、できないなんてどうでも良くて、私が書いた「ムショぼけ」という舞台で、チャンスを掴みとったのだ。
ここでがむしゃらにやらずして、どこでがむしゃらになるのだ。やってやろうではないかと思っている。20年の情熱を世の中にぶつけてやろうと考えている。ロマンもドラマも美しくなくて良いのだ。振り返ったときに、時が美しく美化してくれるのである。その過程においては泥くさくやらなければ、ロマンもドラマも生まれてこない。
ドラマ「ムショぼけ」においては、少し勘違いされている面もあって、なぜ全国放送ではないのですか?と言われることがある。
こんなことを言うのは野暮だが、もっと誤解している人たちになると「あれだけおもしろければ全国放送でもおかしくないですよ〜」と言ってこられたりする。
おかしいのはお前の頭だ...と思いつつも、決まって私は「ですよね〜」と返すのだが、内心はもちろん違う。
ーバカめ、敢えて関西の局地線で勝ち上がるから意味があるのだー、と毒づいているのである。
故郷で錦を飾らずして、東京も全国もないだろう。それにあとでどこにいても、ドラマ「ムショぼけ」を観れるように手筈は整えてある。心配するなである。
私の第3話の名エキストラぶりが光ったのだろう。お陰さまで、11月12日に「ムショぼけナイト」が放送される。
ただし言っておくが、私の地元塚口、焼肉じゅん亭でのエキストラシーン。あれを観て「あれっエキストラで出てへんかった?」と聞かれるが、内心そこでも私は、しっかり毒づいているのだぞ。
ーその目は節穴か?オレがエキストラで出ているのはあのシーンで四度目だ、ばかもの!ー
と。ちなみに全くいてもいなくても良いあのシーンで私は、ついついカメラを目で追ってしまい「沖田さ〜ん!カットですっ!目でカメラを追っちゃダメです!」と、ちゃっかりダメ出しをされてしまっている。そこについてはトホホである。
最新情報としては、ドラマ「ムショぼけ」にはTVでは放送されないスピンオフが2話存在している。そこではドラマ「ムショぼけ」が誇るマドンナ武田玲奈ちゃんを相手にセリフ付きで、エキストラで私は登場している。
焼肉屋の客として、ただのエキストラとしてだ、焼肉を食べてるだけのシーンで、邪魔をしてしまうほどの大根ぶりである。
スピンオフで監督を務めたフクの編集作業をチェックしていると、しっかりそこをカットしてきたくらいの白熱した演技なのである。
あのときは実に危なかった。あそこでフクが譲らなければ、仁義なき戦いが勃発していたかもしれない。
本編の10話以外にスピンオフ2話が存在していることも、楽しみにしてもらえれば何よりである。
そこでは、シゲも本編同様の大活躍を見せている。
先のことは分からないが、映像化のために書き下ろした小説が既にあるので、それが映像化され終わったときに、自分自身がどこを見据えているかではないかと思っている。
ただ、そこでも満足なんてものはなく、常に挑戦し続けているのは、実にめんどくさいが変わらないだろう。
胸を張って言えることは、コンプライアンスだとか随分と息苦しい世の中であっても、頑張り続ければ、打破できる、突き抜けることができる、ムショぼけとはそんな作品だ。
ドラマを通して、誰に何を言われようが、世の中が堅苦しかろうが、主人公の陣内宗介がそれを表現してくれている。クスッと笑いながら、観てよかったと思ってもらえれば、私も書いて良かったである。
(文・沖田臥竜)