ムショぼけとは、厳密に言うと精神医学などにおける拘禁反応のことである。刑務所のような矯正施設で、強制的に自由を剥奪され、外部とのやりとりを長期間遮断されると、それが自業自得の成れの果てとはいえどうなるか。拘禁性神経症を患うのである。
そうした精神状態を俗に「ムショぼけ」というのだ。
私が長期間、社会不在を余儀なくされ、再び社会へと帰ってきたときこと。まず驚かされたのは高速道路のETCだった。
私の目には、高速道路の料金を支払わずに、どいつもこいつも、料金所を突破しているように見えたのだ。そのくせ、運転席に座るドライバーはどいつもこいつもシートベルトをしめているのではないか。当時の私は戸惑いながらこう思った。
ーどっちやねん。治安が悪くなってるか、良くなってんのかどっちやねんー
以前では厳密に言えば違反だが、平気でフルスモークのセダンが走っていたのだ。
一体何がおきているのか。しばし理解できなかったが、これが時間の流れというものなのである。
そうした状態も、しばらく社会でシャバの風を浴びて生活していれば、大抵の場合、それどころではなくなってくる。
何故ならば、ただでさえ出遅れてしまっているのだ。社会で遅れた分を少しでも早く、取りもどさなくてはならない。ぼけてばかりいる暇はないのである。
そうしていく内に、ムショぼけも自然と完治していくのが、治療法と言えるのではないだろうか。
そこにスポットを当てたのが、今作の「ムショぼけ」ということになるだろう。
ムショぼけと反対に刑務所の中には、ーシャバっけが残っているーという言葉も存在している。
その意味は、まだ社会の生活から刑務所の暮らしに馴染めていない状況のことだ。思考が社会を引きずってきているといえばわかりやすいだろうか。どちらも覚えて為になる言葉ではないのだが...。
ただ、ムショぼけというドラマで人生を決断した人がいるのも、また事実だった。
彼女の名前は杉本りりかちゃん。当時、彼女は大学に通いながら、都内の芸能プロダクションでバイトをしていたのだった。
そんな関係から、彼女を撮影現場で勉強させてもらえないか、と言われることになった。
そこで監督陣をはじめとしたスタッフチームと話をし、結果、彼女は2週間。ドラマ「ムショぼけ」のスタッフの一員として参加しながら、ワンシーンに出演するということが決まったのだ。
ドラマ「ムショぼけ」には、彼女のような女優志望の女の子や学生たちがいて、スタッフの一員として参加しながら、ワンシーンに出ている子たちが存在している。だからこそ、みんなと話し合い、この現場はスタッフだから、キャストだから、原作だから、というのはやめよう、みんなが一つのチームとしてやれることをやろうと決めたのだった。
それが正解とか間違っているとかそんなものどうでも良かった。
コロナ禍で、これまでにないドラマを尼崎中心に撮影しようというのだ。
そこには、これまでの概念を一旦、払拭させる必要があったのだ。
物事というのは、基本的なことから変えないと何も変わらない。まずは少しの変化が必要だった。だからこそ、私がまず率先して送迎のハンドルの握ったのである。
それはどの現場でも必要かと言えば、決してそうではない。ドラマ「ムショぼけ」の現場もコロナを相手に苦戦を極めていた。衣装合わせの前日に撮影の延期。誰しもが肩をがっくり落としていた。もうだめではないかーとみんなが思っていた。
たが、私は諦めるつもりはなかった。
人脈もツテも全くない、それこそムショぼけだったときから、私は自分の書いた小説を映像化にしてみせると執念を燃やし続けていたのだ。
クランクイン手前まできて、諦めるつもりは毛頭もなかった。やるときめたら、どんなことをしてでも絶対にやる。それがその時だった。
杉本さんは大学生で、授業の関係から2週間しか大学を休めなかった。撮影期間中は、衛生班の1人としてずっと走り回っていた。
そして、帰京前日の須磨海岸。杉本さんの初舞台だった。
私はお芝居については、プロの監督陣がいるので、アドバイスはしても基本的に口出しはしないと決めている。
だから杉本さんには一言だけこう言った。
「思いっきり楽しんどいでやー」
杉本さんの撮影の前日。撮影でビーチサンダルがいると言うので、ドンキホーテまで買いに行ったのも、私とシゲであった。それが次回、第5話で放送される。
杉本さんは、須磨海岸でお芝居を終えると、本当に有難うございました!と帰京していったのだった。
「えっ⁉︎辞めちゃったの」
撮影が終わり、都内で杉本さんがバイトしていた芸能プロダクションの社長らと会食の場。席には杉本さんも座っていた。
「はい!どうしても最後までいれなかったんが悔しくて、東京に戻ってから私なにやってんだろう...て感じたんです!」
それで大学をきっぱり辞めて、お芝居の道に進むことを決意したのだというのだ。実際、大学を卒業してからにすれば良かったのに...と感じたし、彼女にも伝えたが、言葉にしながら、それが野望であることは、口にした私自身が理解していた。
何かを決断するとは、そういうことなのだ。
「それやったら、頑張ってな」
彼女に声をかけると、杉本さんは「はい!」と元気よく応えたのだった。
物語はここで終わらない。その話を知ったのは盟友の藤井道人監督だった。
すぐに彼女を現場へと呼んで、勉強させてくれたのだった。
実際、人と人の繋がりとは、そういうものではないだろうか。
輝く舞台の裏でもまたドラマが生まれている。
そこもドラマ「ムショぼけ」から伝えることができたら、原作者としても、監修としても、時に送迎のドライバーとしても、嬉しい限りである。
いつのまにか熱かった夏が通り過ぎ、秋がたけなわとなっている...。
(文・沖田臥竜)
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