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ドラマ『ムショぼけ』

ドラマ『ムショぼけ』尼崎から世界へ!革命を巻き起こせ!

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世の中の大半は結果だけをみて、「すごいね!」「頑張ったね!」と言うが、いつも本人側の言い分は違う。それはそうではないか。他人様から頑張ったね、と言ってもらえるのだぞ。
ずっと頑張ってきているに決まってるだろう。

何だったら、生きていく上で必要な様々なものを犠牲にして、それでコケたら人生を棒に振るくらいの情熱で、頑張ってきているのである。
いくらSNSが盛んだからと言え、見ず知らずの人々が、時に嫉妬や妬み、共感といった感情まで抱いてくれるのだぞ。並大抵のことでは、誰もそんな感情を抱いてくれはしない。
昨日、今日の話ではないのだ。ずっと頑張ってきた結果なのである。


私は25歳で筆を武器に、いつか世に出てやろうと考えた時、他には到底できない努力が必要であることを理解していた。
自分自身の人生を振り返って見るまでもなく、それは必然でもあった。
一目瞭然とは、もしやこういった時のために生まれた言葉ではないかと錯覚するくらいは、当然だった。
なぜならば、これまでどれだけ不出来な人生を送ってきたのか、考えるまでもなく他でもない自分自身が知っていたからだ。少しくらいの努力で、世に出れてしまっては、申し訳ないではないか。

だからこそ、筆を武器に世に出るということは、私の中で革命を起こすということでもあったのだ。

何も時代が動くことばかりが、革命ではない。

これまでの概念をぶち壊し、新しいスタイルを成立させることも革命なのである。

そして、いつの時代も革命とは、1人の人間の強烈な情熱から始まるのだ。

それは無論、生半可のことではない。

底辺の人間が、血の滲むような思いで、寝る間を惜しんでもまだまだ足りぬのだ。

新たな旋風になるには、自分よりも前に並んでいる大勢の人々をばったばった薙ぎ倒し、且つ賛同する仲間たちを集っていかなければならないのである。
そんなもの普通できるか。生きて行くだけでもそれぞれ忙しいのに、やろうと考えるか。
挙句、そこに魅力がなければならないのだぞ。
同情と魅力は、似ているように見えなくもないが全く違うのだ。
当たり前のことをやってるだけでは、誰が、

ーオレもその船に乗ってやるー

と、なる。
当たり前の場所には、当たり前の人間しか集まらないのは、当然なのである。

当たり前ではない船に、帆を上げたからこそ、おもしろいと、なってくれるのだ。人生とはそういうものではないか。

ドラマ「ムショぼけ」をクランクインする際に、私はムショぼけという船に賛同し、一緒に冒険してくれることになった、みんなに話したことがある。
それは、スタッフ、キャストという立場を超えて、みんながチームだということ。誰が偉いとか、偉くないなんて、後で良いではないか、大前提として、オールアップした時、ドラマの放送が始まった時、全員が同じ熱量を持って、喜べるようにしようと言うことだった。

若いスタッフは疲れただけで、首脳部だけが、はしゃぐような現場にだけはしたくなかった。

全員が1ヶ月、私の地元、兵庫県尼崎市で同じものを食べ、同じ時を過ごしたのだ。そこには、悩み苦しみ喜びといったひとつのドラマもあった。

みんなで喜べなければ、やる意味がないと思っていたのだ。
その上で、ムショぼけの現場だけは、他とは違う現場にしてみせようという思いが強烈にあった。

単純の話だが、他と同じような現場では、まず先駆者たちには勝てない。
20年前、私は革命を起こすつもりで、ペンを握ったのだ。
他の現場では、到底、考えられないことをやる必要に迫られていた。

だからこそ、原作者が送迎のハンドルの握るということから始めたのだ。

それは全体の底上げでもあったし、空気作りでもあった。
私は物語の作り手である。常に現実をしっかりと見る習性がある。意味のないことなんて一切しない。
原作者がまずハンドルを握る、そうした単純な作業だけでも、他とはここは違うという、新しい風を産むのである。
誰が偉い、誰が偉くないなんて、観る側には微塵も関係ないのだ。
そして観てもらう側は、いつも観てくれる側を意識しないといけない。小さな世界の権力争いや事情なんてどうでも良いし、自己満足では観てくれる側はついて来てくれないのだ。
やりたいことだけをやるのは、余生でやれば良い。
やりたくないことでもやるからこそ、そこに意味ができるのだ。

駆け抜けた現場だった。泣いて笑って怒って悩んでの1ヶ月間だった。

作品作りに、満足なんてものはない。
文芸や芸術は、数学のように明確に点数をつけることが不可能な分、最後のジャッジメントは自分自身でしなくてはならないのだ。
満足してしまった瞬間がゴールなのである。
そして作品作りは、いつも自らの限界を超えていくからこそ、作品も人も成長していくのである。

いつも思っていたことがある。自分が生み出した作品が自分自身の手元を離れ、飛び立っていって欲しいと。いつも思っていた。眠りにつくまえ、ずっと想像していたことだ。

尼崎からの極地戦。そこで戦い旋風を巻き起こさずして、全国も何もないだろう、という思いは、放送前にして、既に海外のメディアの関心も寄せている。

勝手なことはあまり言えないが、大手配信メディアとの話も進んでいる。

もう私の手から、飛びたたったと言ってよいのではないだろうか。

編集中のエンドロールを見ていると、キャストはもちろん、スタッフひとりひとりの顔を思い出し、お前らみんなのお陰でここまできたぞ!と、大きな声で伝えてやりたい衝動に駆られてくるのであった。

(文・沖田臥竜)


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