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ムショの中の洗濯屋さん

実録シリーズ!③ムショの中の洗濯屋さん⁈【民間刑務所の実態】

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 一般工場に入った日、オレは今まで以上に緊張していた。
 なぜなら担当の刑務官が今まで以上に厳しいと思っていたのと、いい工場と言われたことで楽しみなのもあった。
 担当台の前まで行き、「番号!指名!」とこれからお世話になる担当刑務官に言われ、

「2〇〇〇番、廣島!」

と声を張り上げた。

 ここでの番号とは人員確認の番号ではなく、称呼番号といって一人一人に与えられる番号であり、出所まで変わることはない。
 すると、担当刑務官がめっちゃ小さい声で「休め!」と言った。

 は?声ちっちゃ...聞き逃すとこだった。

 工場内なのでもちろん他の先輩受刑者が働いてるし、洗濯工場でもあるためずっと機械音はしている。にしてもだ。今まで叫ぶ刑務官ばかりだったので拍子抜けした。
 するとボソッと「罪名なんだ?」と小さい声で聞いてきたので「薬物です!」と答えると「満期いつだ?」と聞いてきた。声が小さすぎるので自然と前かがみになっていた。

「2020年4月10日です!」

と答える。

「長いなあ。」

と一言。そして沈黙。

 いや長いのは自分が一番わかってるけどそんなしみじみ言われても。。。

「まあ刑務所なんだから色んな人間いるし最初は大変だろうけど、一日でも早く出れるように頑張れよ」

と言われ、「気を付け!」と号令がかかった。

 そして「Y!」と受刑者を呼んだ。でかい声は出せるようである。

「Yがここの工場長だから、仕事教えてもらって」

と言われ担当台から解放されることになったのだった。

Yは静岡出身の好青年。しかも同じ年だった。

「Yくん、ここのオヤジって声小さくない?」

と聞いてみた。

「普通に話すときめっちゃ小さいですよ!でも怒るときめちゃくちゃ声デカいです。ちょっと変わってるかもですね。でも、ここの工場めちゃくちゃ緩いですよ!機会がうるさいから話しててもバレないし。ただ夏は暑いですねー、冬はあったかいですけど」

他愛もない会話で始まった。

 工場の仕事としては、近所の病院とか老人ホームから出たタオルなどの洗濯物をクリーニング業者が請け負って工場に持ってきてそれを洗濯し、畳んでいくという作業だった。だいたい工場全体で、一日5,000から8,000枚くらいのを出荷できる状態にするとのことだった。

 工場内でも色んな班に分かれるのだが、新人は決まって畳む班に付けられる。まあ、これが時間が過ぎた気がしない。一日が長いのなんの。三日くらいで慣れはしたが、立ちっぱなしの作業にも足が痛くなった。

本当に緩いなと感じたのは、ずっと誰かと喋りながら作業していたことだろう。
担当のオヤジも関心がないのか、全然作業風景も見ようともしない。

そしてYくんがオヤジに押してくれたみたいで、通常畳む作業は2カ月くらいやるらしいが、オレは一週間で梱包班というとこに回された。
梱包班の仕事は畳んでいる班が積み上げていってるタオルを回収・検品・梱包して出荷できる状態にするものだった。だからずっと工場内を走り回っていたので、タオルを畳まなくていい。運動にもなるしオレにはすごく合っていた。

平日は毎日、作業時間とは別に運動時間があった。
オレはひたすら筋トレしようと決めていたので、誰かを誘うでもなく、最初は一人で黙々とやっていたが、少しずつ一緒にやりたいという人間も出てきて、最終的には20人弱が車座になって同じメニューをこなしていた。

オレの工場は立ち作業だったため、特にスクワットした日などは作業にならない新人が後をたたなかった。
刑務官たちは、オレが無理矢理筋トレに誘って、後から配役されてきた新人を、仕事できなくさせていると勘違いされたこともあった。
新人は、工場に配属されると慣れるまで孤立していることが多いため、自然と参加を志願してくるのは普通だったのだ。もちろん無理矢理誘ったこともない。

おかしかったのがそのせいで、運動時間なのに筋トレ禁止となった時期もあった。もちろん刑務官サイドに猛抗議して、2週間ほどでそれも解除された。
受刑者が職員に抗議できるというのも、民間の大きな特徴だったのかも知れない。

今考えると職業訓練などで何度かユニットを移動したが、最初のこのユニットが一番好き勝手?過ごせたユニットだったかも知れない。

まあ何処に移動しても似たようなもんだったが。


(文・廣島部長)