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成功への道連れ

沖田臥竜流『自己啓発』  ー成功への道連れー

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(リード)●夢に向かって挑戦していても、失敗したり、周囲に「どうせそんな夢はかなわない」などとだめ出しされるとすぐに自身を失う。そうした挫折心を乗り越えるには?


そもそも現代はネット社会だぞ。周囲の声で揺らいでしまうような人間は、SNSの文字如きが気になって仕方ないはずだ。悪いことは言わない。そんなことくらいで、自分を見失うくらいなら、ハナから夢など見ない方が良い。何故か分かるか。無駄だからだ。オレに怒っても仕方ないではないか。だって事実なのだから、ストレートに言ってもらって、逆に感謝して欲しいくらいだ。

だいたい、そんな単純に夢が手に届くところにあると思うか。人に夢を語ったとしても「絶対、ムリやで」と、失笑どころか本気にすらなかなかしてもらえないものが、夢なのだ。
単純に叶ったり、追いかけ続けたりできるものは、夢でもなんでもない。それはただの現実なのである。夢とはいつも、現実の向こう側になければならない。だからこそ、人々は夢に魅了され、憧れを抱くのだ。

オレが25歳で、初めてペンを握った頃、小説家になると言っても、誰も耳なんて傾けてくれなかった。それは月日が5年経過しても同じだった。
書いても小説を読んでくれないなんてレベルではない。いくら熱心に話そうとしても、「普通にムリやろう」と誰ひとりとして、例外無く話しを聞かないのだ。
ウソでも「応援するね」なんて一言すら、存在しなかった。次第にオレも口にすらしなくなった。そして体感として感じたのは、夢を語るからこそ、人に否定されたり、やる気を削がれたりすると言うのだな、と言うことだ。ただオレの場合は例外なく「ムリだ」と誰しもが、口を揃えてくれたのが良かったかもしれない。

「よっしゃ。よう言うた。みとけよ。意地でも小説家になってやる...」

その想いは、夢を追いかけるような美しい姿ではもうなかった。自分に対する意地だった。その意地がだんだんと執念になっていったのだ。
だからこそ、書く、読む、写すという作業を延々と継続することが出来たと思う。人間の意地とか執念と言うのは、時として思いがけないほどの力を生み出す要素を備えている。
夢を追う姿がかっこ良いのは、いつも小説やTVの中だけの話しであって、実際は嫌になるほど、泥臭いものだ。
だが、こうなりたい、こうしたいと言う気持ちが、漠然とした想いや理想から、意地や執念に変貌を遂げたとき、人間は発揮するのである。思いもよらなかった馬鹿力を発揮するのだ。

そしてよく失敗を恐れていては何もできないと言われるが、あれはウソかバカである。人間何事に置いても、慎重に生きていかなくてはならないのが営みなのだ。だからこそ、地道な作業や仕事をコツコツと続けていくのである。それでも失敗するのが人生だ。そこで大事なのは、まず何か。
簡単である。発想の転換。いかにして、目の前の失敗を結果的にプラスにできるかを考えるのだ。全く違う角度からで良い。だけど振り返ったときに、その時の失敗を、成功の道連れにしてなくてはならない。勿体なくないか。せっかく失敗を経験したのだ。そのまま放置していては、もったいないではないか。単純に失敗したからこそ、見える世界というものも存在している。
例えば、人の有難みとか優しさとか、当たり前の自由なんかでもそうだろう。成功ばかりして有頂天になっている人間には、気づけないことが失敗したからこそ、気づけたりするのだ。
ただし問題はそこからだ。失敗したからと、不貞腐れたり、逃げ出したりしてはいけない。
失敗よりももっと人として怖いのは、土壇場になると逃げ出すことなのだ。
この逃げ出すという行為は、あとでどれだけ美化しても美談にはならないし、何より一度、逃げ出すと人間クセになるのだ。
いつも何かあるたびに、逃げ出してしまうのである。

逃げ出してばかりいる人間の顔を見てみろ。いやらしい目つきをしていないか。
そんな人間を世間が利用することはあっても、信用することがあると思うか。

世間が信用するのは、逃げ出す人間ではない。
失敗したときに歯を食いしばって、踏ん張っている人間に対してだ。その姿に、世間は手を差し伸べてくれるのである。そして、その差し伸ばされた手をしっかりと掴み、チャンスにかえるのは、他ではない。自分自身なのだ。そこから人生が開拓されてみろ。失敗を結果として、プラスにかえれていないか。

これは並大抵のことではない。一瞬でもない。失敗をプラスにしてしまうのは、とにかく何事においても継続性が必要とされる。心を折らないとはそういうことなのだ。

どんなことがあっても自分自身だけは、最低限、信用できる人間になるべきだろう。挫折したときに自分の弱さを人間は痛感できるが、強くなくても良いのだ。強くならなくても良いのだ。優しさだって、その人の魅力であり、武器なのだ。

ただ夢を語るならば、最低限、立ち続けてみろ。それが5年か10年かなんて分からない。
だけど、自分の夢が無理かどうか、無謀であったかどうかは、自分で見えてくる。
いける、まだまだオレはやれると思えば、たち続けるべきだ。やはり無理だと思えば、諦めたらいいではないか。ただ、それは自分で判断するべきだ。周囲に言われて、諦めたりするのではなく、全ては自分で決断していくべきではないか。

だって自分の人生の主人公は絶対的に自分自身なのだぞ。自分の人生の中では、どれだけ偉大な人物も主役にはなれないのだ。
そこが理解できてくれば、周囲の声や挫折。失敗にいちいちへこたれている暇なんてないと分かってくるのではないだろうか。


(文・沖田臥竜)