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欲望とはうまく付き合え

沖田臥竜流『自己啓発』  ー欲望とはうまく付き合えー

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(リード)●遊びたい、眠たい、めんどくさい...そうした欲望や邪念に打ち勝つ方法とは。


何事においても、すぐに勝つとか負けると発想するから愚かなのである。
誰しも人間なので、感情というものはもちろんあるだろう。どれだけ淡白な人間であったとしても、欲望だって大なり小なりあるはずだ。
そこにはもちろん、遊びたいとか眠たいとか、めんどくさいという感情も存在している。甘い誘惑だってあるだろう。

オレはとにかく毎日、休みなく働く仕事を自らで選択したので、多分、世間一般的な人々よりも「遊びたい」という感情が薄いと思う。
食欲にしてもそうだ。仕事に没頭していれば、腹の減り具合で、休憩しようかなんてまずならない。

ただ、徹夜がエスカレートすると、強烈な睡魔に襲われることがままある。もうそうなると理性や気持ちでどうにかできるような問題ではない。
だって、書きながら寝落ちしてたりしてしまうのだ。その時に目を覚まして「くっそ!睡魔に負けてしまった!」なんて思うと思うか。そんなの病気ではないか。

それと同じように、自己の感情は勝負していくのではなく、正しくはコントロールさせていくと言う方が、適切ではないだろうか。うまく感情をコントロールさせることによって、モチベーションを高めていくのである。それでもめんどくさいと言う感情は、常に内面にドンと踏ん反りかえっており、「もうええやんけ、休め、休め」と囁いてくるものである。これは何も仕事に限ってのことだけでない。家事にしても、子育てにしても、勉強にしても、何だって面倒に思うときがあるだろう。 

そもそも、生きるということ自体がまあまあ面倒で厄介なものなのである。もっと言えば、それが感情なのだ。ただ、それでもなぜやめないのか。

それはその先に、人としての喜びがあるからだ。未来で待ち構えている喜びは、実際、本来、描いていた喜びとは異なるかもしれない。ただ頑張れる人間というのは、未来がはっきりと見えている。
だからこそ、怠けたくても楽したくても、頑張り続けることができるのである。努力することができるのだ。

いつ死ぬか分からない人生に、厳密に言えば頑張ったところで保証なんて、全くない。だけど、常に邪念や誘惑に支配され、めんどくさい、楽したいと考える人間に、成功者はいない。そこだけはオレが保証してやっても良い。人が羨む地位にいる人間は、持って生まれたセンスも確かに関係するだろうが、ひと並外れた桁違いの努力をしているのだ。

聞いたことあるか。怠けたい、楽したい、遊びたいの最上級に位置している「ニート」が、怠けたいだけで、夢を叶えてしまっちゃいました、なんて聞いたことあるか。ないだろう。

小さくても良いのだ。別段、大きな夢じゃなくてもよいじゃないか。今月の家賃も払えない、明日の飯代も削らなくてはならない、という生活よりも、給料日くらいは好きな物を食べて、仕事が休みの日には、自分の好きなことをすることの方が良くないか。

オレは繰り返しになるが、自らで選んだのである。どんなことがあっても、夢を追いかけると自分で決めたのだ。誰に強制されたわけでもない。当たり前だが、夢を追いかけると決めたときから、休みは返上することにした。とてもじゃないが、人並みに休んでいては、夢なんて微塵も見えないことを理屈ではなく、理解していた。

今だってそうだ。休みたいし、寝たい。だけど、それをオレがしないことをオレが一番知っている。何故か。まだ重い描いている理想に到達していないからだ。

何かあるたびに、「あの時、頑張っていたなら...」と後悔するのは、もう懲り懲りである。

何をもって、成功とするかは世間が決めてくれるが、何をもって幸せと感じるかは、世間ではなく自分が決めるのだ。成功した人間が必ずしも幸せかと言うとそうではない。しかし成功した人間は、人を幸せにする力を持つことができる。

オレには後者の方が性に合った。仮に1日オレが8時間の睡眠時間をとり、土日祝はのんびりしていては、人の人生なんて変えることはできないだろう。

誰しもが修行僧ではないのだ。欲望とはうまく付き合えば良い。その上で、自分の弱さを理解し、常に感情をコントロールしていくのだ。それが習慣づけることができれば、雑念にそうそう囚われることもないのではないか。


(文・沖田臥竜)