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人と同じでは夢なんて叶わない

沖田臥竜流『自己啓発』 ー人生に後悔なんて当たり前ー

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(リード)●自分が本当にやりたいことが見つからない。惜しみなく努力したいと思えるものがわからない。それゆえ、毎日を漠然と生きている気がする。どうしたら、沖田さんにとってのような「小説」のような、自分の「夢」を見つけられるのか。

◯人と同じでは夢なんて叶わない

究極、人間は死ぬために生きると言っても過言ではないだろう。
よく後悔ないように人生を生きると、したり顔で言う人間がいるが、バカである。
何故ならば、人間、常に後悔と隣り合わせで生きているからだ。
少なくともオレはそうだ。考えてみてほしい。日常生活の至るところで、何だってよい。
「ああすれば良かった」「こうすれば良かった」と言う思いが脳裏に浮かんでこないか。
それが人の感情と言うもので、人間のおおよそはこの感情によって支配され、人間形成されているのである。
まずすべきことは、その仕組みをしっかりと理解した上で、全ての自己の感情を受け入れることから始めるべきなのである。

まず、漠然と生きていく中で、やりたいこと探すという発想自体が、年を重ねれば重ねるだけ、至難となってくるだろう。
何故ならば、漠然と生きているからだ。決してそれが悪いと言うのではない。漠然と毎日、働くということだって充分に立派であり、尊いことなのである。
ただそこで夢を追いかけると言うならば、それでは決して届くことも叶うこともない。

オレの場合、常に自分自身にひとつだけ言い聞かせていることがある。

それは、ー明日、死ぬかもしれないーと言うことだ。

これはある意味、真理でもある。
仏教語の中に、一切衆生という言葉があるのだが、この世に生を受けた生きとし生けるもの全ては、いつか必ず死ぬのである。  

ここだけはどれだけ「ワシは唸るほどの銭があるんじゃ!地位もある!だから死なぬ!」と頑張ってみても、無駄なのである。すまぬが、死の前では、総理大臣も百姓もない。みな平等なのである。
そして、その死はほとんどのケースで、いつ訪れるかわからない。

もしかして、明日死ぬかもしれない、となれば、人間に漠然と生きれる余裕があるだろうか。

「へっ?ワシが明日、死ぬだって?それでもワシは変わらず、大根を売ってるよ〜」

バカである。そんなヤツは絶対にいない。
本当に社会で明日、死ぬと断言されれば、病に臥してでもいない限り、最期に何かしようとやり残したことを考えるはずだ。

その最期の何かやり残したこと。そこに夢に繋がるヒントが存在するのである。

誰しも、人生がいつか終わるとは分かっていても、五体満足の身体があれば、そうそう明日、死ぬとは考えられない。
それどころではないからだ。それぞれに生活していく上で、やらなければならない雑務や業務が存在するし、食べていくことだって常に考えていないとならない。

だからこそ、どうしても漠然とした考えに支配されてしまうのである。
しかしだ。明日死ぬとなれば、事は別である。漠然とは、そう容易く生きていけないだろう。逆にそれができると言うのであれば、もう充分ではないか。それは漠然ではなく、悟りの領域に到達してしまっている。

この、明日死ぬ前に最期にやり残したこと。これが夢となって膨らんでいくのである。
現実的に人間は死にたくても、そう容易くは死ねない。だから苦悩があるのである。

そして何も夢と言うのは、プロ野球選手になりたい、有名youtubeになりたいばかりではないのだ。
たとえば、人生にやり残したこととして、彼女に、彼氏に、家族に、何かをやってやりたいというのも、すでに十分な夢なのだ。
最期に家族に何かをしてやりたい、という想いは、つまり家族を幸せにしたいと言うことになる。家族を幸せにしたいと思えば、これまでのように、漠然と生きれるだろうか。
中には、そうした家族もいないと言う人もいるだろう。そして、仮に明日死ぬとなったときに、「オレの人生は実にしょうもなかった...あの時こうしておけばよかった...嗚呼、無念だ...」となったとしよう。いやなれ。で、実際、明日、死なないのだ。明日、死ぬと思っていたのが死なない。それはチャンスだったりするのだ。

つまり生きていること自体が、本当はチャンスなのである。
そのチャンスを生かすも殺すも、結局は自分自身なのである。


オレは決して、小さな頃から、小説家になりたいと思って生きてきたわけではない。25歳のときに、一冊の小説を読み、「オレもこんな物語をかけたら...」ということから始まった。
それは今思えば、突然の夢との出会いということになり、想いを継続させることによって、自らの夢を育ませたのである。決して、夢を日夜探し求めていたわけではない。努力によって夢にしたのだ。そして、自ら描いたものがTVドラマとして、また映画化として、陽の目をみることになったのである。

確実に言えることは、人と同じことをしていても夢なんてものは叶わないし、見つからない。大事なのは、人と違う発想、そして他よりの努力なのだ。
無謀な考えは生活を破綻させるだけである。
日常の安定を続ける中で、新しい発想の中、無謀な努力。これが大切なのである。

ー明日、死ぬかもしれないー

そう意識するだけで、考え方や感性が変わってくるのではないだろうか。


(文・沖田臥竜)