>  > 沖田臥竜流『自己啓発』 ーこの堅苦しい世の中を生き残るためにー
行儀良く順番を待っていても

沖田臥竜流『自己啓発』 ーこの堅苦しい世の中を生き残るためにー

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

image1.jpeg
◯行儀良く順番を待っていても


人生の成功とは一体、何なのか。漠然とした経済的な成功のことをさすのか。必ずしもそうではないだろう。確かに経済的に満たされることは、人間が営みを続けていくが上で、誰しもが課題とするところだろう。だが、世の中には金では買えない物と言うのが確かに存在している。作品作りというのもその一つだろう。

私は25歳の時に、小説家として世に出ようと想いペンを握った。その時に思い描いたのは、自分の書いた小説の映像化であった。つまりはドラマ化や映画化である。業界で文芸と呼ばれる小説の世界は、大不況と言われる出版業界の中にあって、更に過酷なジャンルとなり、実際、夢も希望もなくなるが、小説で食べていけてるのは、僅か50人と言われるくらいの世界なのである。
ましてや小説の映像化など、夢のまた夢の世界で、いくら金を積んでも叶えられるような話しではない。それは私自身、実際に書く仕事をしていくようになって、痛感させることになった。
そもそも小説を出すこと自体がまず困難なのだ。それがどうにか叶ったとしてもまず売れない。
無論、売れない本を映像化なんて、夢の夢の話しなのである。だが私は、数多くの人たちの力で、小説をドラマ化にすることを決定させた。しかも撮影は私の地元、兵庫県尼崎市でだ。そして来年には、私の書いた小説の映像化も既に決まっている。

私がなぜそんなことを叶えられたか。一つは出会いにあった。生涯の盟友とも言える映画監督との出会いが私の人生を大きく変えることになった。ただ、出会いだけで夢が全て叶うかと言うとそうではない。私に何かしらの人としての魅力や需要がなければ、どれだけ良い出会いがあっても、それが新たな世界を開拓することには繋がらない。私の武器は、文章のうまさではないかもしれない。ただ、私は私の文章力を知っており、他の小説家のように時間をかければ、はっきり言ってそれなりの作品に仕上げられる自信もある。こちらもプロなのだ。当たり前である。
だが私が自らの武器としたのは、スピードだった。つまり量産型だ。質より量と言うわけではないが、大事なのは時代に沿ったやり方なのである。いくら唸るような原稿だったとしても、スピードが何よりもものを言う情報社会において、時間がかかるのは致命的とも言える。時間をかけてじっくりと攻める仕事をする一方で、とにかく原稿を量産させ、認知させることに努めた。そうすれば、思わぬ出会いを引き寄せてくるのである。その時こそが本番なのだ。そこで初めて自分の実力を見てもらえるのだ。

私に初めて依頼があった映像の仕事は、話題を呼んだ映画「ヤクザと家族」の監修と所作指導であった。初めから、監修の依頼があったわけではない。当初、話しがきたのは、時間にして2時間ほどの取材協力であった。そこで私は取材協力だからと言って、決しておざなりにすることなく、惜しむことなく、全力で取り組むことにした。
そのあとに予定されていた仕事もキャンセルして、その時間に私の持っているものを全て吐き出した。2時間の予定が6時間近くにも及んだ。
そこに打算的な考えなどはなかった。だが、それが評価されて、正式な監修のオファーを仕事としていただくことになり、そこでも全力で仕事したお陰で、結果としてドラマの映像化まで繋がっていったのである。

常に私の根底にあるのは、行儀良く順番を待っていたのでは、一生かかっても自分の順番は回ってきてくれないと言うことだ。そして運命を人任せにして、願うだけでは何も変わらないと言うことだ。それはそうではないか。私の前には長蛇の列なのである。そこを早く自分の順番がやってこないか、と願っているだけでは一生やってこない。小説家として本、を出すこともできなかっただろう。

今の世の中には、息苦しいほどの順番が決められており、何をするにもセオリーというものがひしめき合っている。それをいかに度外視して前に進むか。闇雲に突破しようとしても、そんなものはハナにすらかけてもらえない。だからこそ大事なのは自分の武器なのだ。私は世情を鑑みながら、自らのスピードを磨く鍛錬を重ね続けた。客観的に見ても、私より早く原稿を書ける書き手はいないと思えるようになるまで、書いて、読んで、写すと言う地道な作業を何年も何年も延々と繰り返した。
そしてチャンスが一瞬でも目の前にやってきた時には、それを自力で掴みとってきたのである。
もちろん全て成功してきたわけではない。失敗もあれば、後悔だってある。頭にくることだってある。常に不安と葛藤とは隣り合わせだ。
それでも諦めたりはしない。諦めそうになっても、自分は諦めることをしないということをはっきりと私だけは知っていると思えるまで、地味な作業を続けてきている。

自分自身をがっかりさせるのは、実に容易い。だが人生は一度きりしかないのだ。私は随分と自分にはがっかりとさせられてきた。もうがっかりさせられるのは十分だ。

ダメならば、単純である。人様に迷惑をかけないように死ねば良いだけである。道連れにしてやる、というのも一つの手だろう。だが人間は容易く死ねない。歳を重ねるにつれ、責任や抱えているものも多くなり、そうそう無責任なことは出来なくなってくるのである。
ダメならば、死ねば良い、そう思いながら、頑張り続けていれば、案外、何とかなるものである。

そして大事なのは、何とかならない、なりそうもないならば、自力でで何とかすることなのだ。

もう一度言う。どんな世界でも行儀ただしく順番を待っているだけでは、自分の順番なんて一生回ってこない。批判や批難を恐れずに、ここだと思うときには、行動してみせる。うまくいけば、周囲は無責任なほど評価をかえる。失敗すれば、笑われても、また地味な作業を延々と続けていけば良い。たったそれだけなのである。

究極、人間はいつか必ず死ぬのである。
決して、恐れることはない。私は常にこの言葉を自分に言い聞かせて、努力を継続させている。


(文・沖田臥竜)