ちょうど一年前の7月のこと。オレはもう小説を書くのをやめようと思っていた。小説家になろうと思って20年。これまでも、もう小説は書けないと何度も思っていたが、そのときのやめようは、かなり深刻だった。小説を書く気力もなくなっていたのだ。とにかく小説と呼ばれる文芸は、書く仕事の中でも絶望的に金にならない最高峰に君臨しており、芥川賞をとったとしても編集者から「バイトはやめないで!」なんて言われるという世界だ。銭金で小説を書いていたわけではなかったが、全く金にならなければ対価としても報われない。食べていくための原稿は書きながらも、事業に専念しようという考えが、オレの脳裏を支配していたのである。
筆に自信がなかったわけではなかったが、渾身の一撃と思い放った「死に体」も思い入れが強かった「忘れな草」も全く売れず、もしかして、オレの描く文芸は世の中に受け入れてもらえないのではないか、と感じていたのであった。
且、オレを取り巻く環境が私生活においても最悪な状況で、とてもじゃないが売れない小説をゼロから生み出す余裕がなかった。
実際、人生で生きてきた中で一番辛かったように思う。
世の中には、どれだけ努力しても解決ができない問題があると知ったのは、そのときだった。
「もう...書くのをやめようと思う...」
夜中、精神的にかなり追い詰められていたオレは、電話の相手にそう告げた。はっきり言って、その時は、死ぬことさえももう対して興味がなかった。
ーちょっと、ちょっと、ちょっと、待って!待って!待ってください!!!ー
電話の向こうの彼は、いつになく慌てた口調で、書くのを辞めるという私を思い留めようと、必死になって説得してくれたのだった。
「来週あいましょう!ねぇ!ちょっとボクも色々と考えますから、ねぇ!沖田さん!来週、会って話ししましょう!!!ねぇ!ねぇ!ねぇ!」
その熱意にほだされて、オレは翌週、五反田の居酒屋で彼と向かい合い杯を交わしていた。
「ボクは沖田さんのエッセイが大好きなんです!あんな感じの小説だったら、絶対におもしろいし売れますよ!」
彼はずっと、オレの書くエッセイが大好きだと言い続けてくれた。
「だから少しだけ、あともう少しだけ書いてみませんか?ねぇ?ねぇ?ねぇ?」
彼の人懐っこい笑顔に引き込まれて、オレは思い留まることになったのだった。
「じゃあ早速、タイトルを決めましょう!!!」
その席で、タイトルまで決定したのであった。
彼と別れたあと、もうこれ以上は書けないとあれほど思い詰めていたのに、ホテルに戻るとペンを走らせているオレがいたのだった。
書いてる最中、ずっと一番の読者になってくれたのは彼だった。
ーすげえおもしろいですよ!マジでこれは受けますよ!!!ー
彼の感想が届くたびに、オレの筆は更に踊った。
その彼とは、その年、アカデミー賞を受賞した藤井道人監督だった。生きてきた世界も年齢も全く異なる藤井監督と私は、映画「ヤクザと家族」で一緒に仕事して以来、とにかく馬があった。
彼と話していると、忘れたはずのわくわくやドキドキが知らず知らずのうちに、いつも甦っていたのだった。
はっきりと言う。オレは誰の言うことも聞かない。もう今更、人に合わせて生きるくらいなら、明日、死んだとしても、オレはオレのやりたいことをやると決めている。良い悪いの基準はしっかりと自分の中にあるので、真っ直ぐに生き抜いて、死ぬ時には満足してやる、と決めている。
もっと怒らずに、と周囲からうるさいくらい言われるが、もう直す気もないのだ。一生に一度の人生ではないか。言いたいことを言って、やりたいことをやって生きても良いではないか。そのやりたいことは、自分のためではない。いつだって人のためじゃないといけない、と言うのがオレの中のルールなのである。
「ムショぼけ」というタイトルは、オレが25歳の時に初めて書いた小説のタイトルだ。
「ムショぼけ?最高じゃないですか!ぼけはひらがなが、字面的にも良いんじゃないっすか!」
見た目の字面を考えて「ムショぼけ」のぼけをひらがなにと提案してくれたのは、藤井監督だった。
努力していたら、いつかは報われる。
誰よりも、今の自分の姿を、25歳で初めてペンを握ったあのころオレに見せてやりたい。
仕上がるまで、一年という月日がかかった。
小学館の書籍担当のかた、編集者のかたには、本当に私の我を最後の最後まで通し、それでも「良い作品にしないと意味がないんです!」とずっと付き合っていただいた。
藤井監督と二人三脚でスタートした物語は、1人2人と増えていき、本当に大勢の人々に後押しされたからこそ、完成した小説だ。
売れたら良いなと思っている。恩返しなんてできないけれど、売れてみんなに喜んでもらえたらと思っている。
ただオレはさっきも書いたが、堅苦しい世の中だ。言いたいことを捨て台詞代わりに言ってやる。売れるだけではない。日本の文芸は、まだまだ捨てたもんじゃないと、オレが「ムショぼけ」で言わせてやると思っている。
そんな想いが詰まった一冊である。
読んで、クスリと笑っていただければ、幸いである。
(文・沖田臥竜)
小説「ムショぼけ」(小学館)
著者・沖田臥竜
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