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特別寄稿

『ヤクザと家族』監修者・沖田臥竜が見た『すばらしき世界』とスーパー脇役・北村有起哉の凄み

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 現在公開中の映画『ヤクザと家族 The Family』(藤井道人監督)の監修を務める作家・沖田臥竜氏。自身の経験をもとに、同作に現代ヤクザ映画としての「究極のリアル」を吹き込んだ。そんな沖田氏が、『ヤクザと家族』と相似した作品ともいえる『すばらしき世界』(西川美和監督)から掬い取ったものとは?

『大阪極道戦争』以来の役所広司の衝撃


 私が監修、所作指導を担当した『ヤクザと家族 The Family』の撮影中、役所広司さん主演の『すばらしき世界』も撮影中であることを聞いた。どちらの作品も、社会から排除されるヤクザや元ヤクザの姿を通して、現代の歪みを映し出すというテーマが通底しており、公開にあたっては並べて語られることも少なくなかった。

 『すばらしき世界』の原作は、佐木隆三さんの『身分帳』(1990年刊行)。だいぶ前に私も読了していた作品であった。

 身分帳とは、刑務所に入所した誰もが耳にする言葉だ。刑務所内の矯正施設職員により作成された、受刑者の個人情報や施設内での活動記録、評価などが細かく記録された帳面で、例えば、「金線(キンセン)」と呼ばれる幹部職員(彼らの制服や制帽に金のラインが入っている)はこの身分帳を見て、受刑者をどこの工場に配役するかなどの処遇を決めていくのである。刑務所への入所回数が増えたり、受刑中に問題を起こしたりすると、必然的にその者の身分帳は分厚くなっていくというわけである。

 役所さん演じる『すばらしき世界』の主人公・三上は、その身分帳の分厚さからもわかる通り、殺人を犯し、いわくつきの刑務所暮らしを長らく送ってきた元ヤクザ。そんな三上が出所後に直面する、現代社会で生きていくことの影と光が描かれていく。

 私が役所さんを初めて知ったのは、1994年に公開された映画『大阪極道戦争 しのいだれ』である。実在するヤクザの組長をモチーフにした作品で、それは当時、血気さかんなまだ十代だった私の心に強烈な印象を残すセンセーショナルさを持っていた。

 そこから30年近い歳月が経った。しかし『すばらしき世界』には、私に強烈なインパクトを残していった役所さんが、微塵も色褪せることなく映し出されていたのだ

 それ以降も、役所さんの主演映画は何作も観てきていたし、話題となった『孤狼の血』(2018年)での、ヤクザと丁丁発止を繰り広げる刑事役には圧倒された。だが、いずれも『しのいだれ』で受けた衝撃ほどであったかといえば、そうではなかった。どの作品も魅力的で面白かったのだが、私の中で『しのいだれ』を超えることはなかった。

 だが、『すばらしき世界』によって、私はあの時の衝撃を再び受けることになったのだ。

ヤクザが排除されるのは誰のせいなのか?


 「刑務所は社会の縮図」といわれることがある。この作品のエンドロールにもクレジットされていた某識者も好んで使う言葉なのだが、実際はそうではないと思う。

 刑務所と実社会は全くの別世界で、だからこそ出所した元受刑者は、刑務所で身についたアカや文化を落とし切るまで、悩み苦しみ、葛藤を抱えるのである。そもそも、刑務所は前科者の集まりだが、実社会では前科者が排除されがちである。元ヤクザなんてレッテルが貼られていたら、なおさらだ。そして、それに耐えきれず再び犯罪に手を染めてしまい、また収監されてしまうケースは統計的に見ても少なくない。

 そんな状況が生まれるのは、誰が悪いからなのか。出所者を受け入れ、更生する環境を整えていない社会か。それとも更生に向けたプログラムを構築できていない刑務所か。すべては否である。

 どこまでいっても、悪いのは本人なのだ。

 反社会的勢力と呼ばれ、生き場所を失った現役のヤクザも、暴力団排除条例の施行により、いわゆる"5年ルール"の縛りを受け、法律的にも一般人と同じ扱いをされない元組員も、悪いのは社会でも世の中でも環境でもなく、本人なのだ。実際、自分自身にそうやって言い聞かせていかないと、やり切れないではないか。

 他人のせいにしても、世の中のせいにしても、そこに解決などはない。だったらせめて、自分のせいだと受け止めて、自分の力未来を変えていかなければならない。

 もう一度言う。そうでもしないとやりきれないではないか......。

 小さな頃から親の言うことを聞かず、学校の規則にも背き、好きなように生きてきた人間が、遊びたいのにそれを我慢し、組織や社会のルールを遵守し、真面目に生活してきた人たちと同等の環境を易々と手にさせてもらえるかといえば、それは理屈として通らないだろう。

 今まで好き勝手に生きてきたのなら生きてきただけ、社会を形作る多くの人々以上に、我慢や辛抱、そして努力をしなければ、社会には受け入れてもらえないし、人生をやり直すことはできない。それが世の仕組みなのである。ただ、努力は誰でも平等に、いつからでもできるし、その努力の結果は、他人や世間にではなく、努力した本人に返ってくるのだ。

 歳をとればとるほど、通り過ぎていった時間に想いを馳せ、若い時のように刹那的な考えで物事を見ることができなくなってしまう。そこに気づかされることなく、仮に命を全うすることができたのなら、それはそれで短くとも幸せだったといえるかもしれない。

「すばらしき世界」を生きるために


 だが、他の生き方に気づかされてしまったらどうだろうか。自分の至らない人生を後悔することになったら、どうなるだろうか。

 それでも当たり前だが、死ぬまでは生きていかなくてはならない。生活水準が限りなく低くなったとしても、若い頃は汗水たらして働くのがバカバカしく感じていたとしても、解決できない問題に直面したとしても、死ぬまでは生きて行かなくてはならないのだ。

 それが、生きていくということとなってくるだろう。そして、必死になって生きていれば、さまざまな新しい出会いが生まれ、そこに小さくとも喜びを見出すことができる。だからこそ、この社会は「すばらしき世界」なのだ。

  役所さん演じる主人公の経歴に同情の余地はない。しかし、それでも一生懸命に生きようとする姿に、人は魅了され、手を指しのべようとするのではないだろうか。

 ところで、そんな役所さんと優劣つけがたい存在感を、私に見せつけた俳優がいた。

 『ヤクザと家族』のオールアップの日。都内の某クラブで「沖田さんもそんなところにいないで、こっちで一緒に写真を撮りましょうよ!」と声をかけてくれた人物である。

 それが、『すばらしき世界』では、福祉事務所のケースワーカーを演じた北村有起哉さんであった。『ヤクザと家族』では若頭役を見事にこなした北村さんは、同時期に、元ヤクザと向き合うケースワーカー役を演じてみせていたのだ。この振り幅は、北村さんにしかこなせないのではないだろうか。

 『ヤクザと家族』の盃ごとのシーンでも、本来なら3カ月か半年はかかる所作を、たった1日で北村さんは覚えてしまい、演じきってしまったのだ。それにも驚愕させられたものだが、『すばらしき世界』では全く異なるお芝居をこなしてみせ、その実力は底知れぬものがあると思わされた。

 そして私が、ヤクザと家族の現場で接した北村さんの気遣いは、俳優としてだけではなく、人としても一級品の人物であった。北村さんのさらなる活躍を、今は見たくてしかたない。

(文=沖田臥竜)

映画『すばらしき世界』公式サイト
https://wwws.warnerbros.co.jp/subarashikisekai/
映画『ヤクザと家族 The Family』公式サイト
https://www.yakuzatokazoku.com/

※初出 https://www.cyzo.com/