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違和感

④■平成三大コールドケース『上智大生放火殺人事件』ー違和感ー

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◯怨恨

事件が起きたのは、渡米へと留学を控えた2日前であった。それは、ただの偶然だったのかもしれない。しかしそれを必然と考えるのもまた捜査である。

事件後の現場検証では、1階の玄関近くにマッチ箱が落ちていたのが見つかった。
犯人はこのマッチをすって、2階で順子さんを殺害した後、火を放ったのではないかと考えられている。
このマッチは、犯人が小林さん宅に侵入した際に持ってきたものではない。2階に置かれてあった仏壇においてあったマッチだったのだ。そう、犯人が火をつける為に、持ち込んだものではないのだ。
その為、一つの推理が生まれることになった。

ー犯人は初めから小林さん宅に火をつける目的で侵入したのではなく、順子さんを殺害後、犯行が発覚するのを恐れて、突発的に小林さん宅にあったマッチで火をつけたのではないかー
という仮説だ。

これが「物盗り説」を支える唯一の見立てとなるのだが、果たして本当にそうであったのだろうか。


『葛飾区柴又3丁目女子大生放火殺人事件
【概要】
1996年9月9日午後4時40分ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の小林賢二さん宅が全焼。駆けつけた消防隊員によって小林さん方宅2階から、上智大外国語学部4年生(当時)だった小林順子さん(当時21歳)が救助されるのだが、その時、順子さんは既に死亡。救出された際、被害者の順子さんの手は粘着テープで縛られており、首には刺し傷などがあったことから、警視庁捜査一課では、直ちに殺人事件として亀有警察署に特別捜査本部を設置。
だが、事件は未解決のまま23年が過ぎ「世田谷一家殺人事件」「八王子スーパーナンペイ拳銃強盗殺人事件」と並んで、平成三大未解決事件として扱われることとなった。現在でも専従班によって捜査が続けられている未解決事件』


事件を踏む際、犯人によっては途中の職務質問などを警戒し、現地で犯行に使う凶器を調達する者も決して珍しいことではない。

現に世田谷一家殺害事件では、殺害に使用された刃物の1本は犯人が自ら持参したものの、もう1本の包丁。つまり殺害に使われた凶器の内の一本は、殺害現場にあった包丁を使用しているのだ。

現場にそのまま残されていた現金。小林さん宅に侵入した犯人は、本当に「物盗り」だったのだろうか。

私には現場の状況から、どうしても「流し」による犯行とは、到底、考えられないのだ。

では、何が目的だったのか。突き詰めて行けば、怨恨説へと繋がっていってしまう。ただそれもあくまで推測の域を超えることは、出来ないのだが、、、。

ただ仮に怨恨であったとしても、それは必ずしも人間関係の縺れからの恨みによって生じるケースばかりではない。時として、過度なる思い込みが、怨恨へと変貌を遂げることもある。


当初、捜査一課でも、物盗りか怨恨かを天秤にかければ、怨恨説に重きをおいて捜査が続けられていた側面があった。
それでも犯人が一向に捜査線上に浮上せず捜査が進展していかないことから、徐々に捜査の軸足を物盗り説。つまりは、強盗説も視野に入れて捜索することになる。だからと言って、決して怨恨説が消えたわけではなかった。

金銭目的で小林さん宅に侵入し、たまたま居合わせた順子さんを突発的に殺害したにしては縛って刺した挙句に、火までつける行為が余りにも過激過ぎるからだ。そして何より、目の前にある現金を盗っ人が手すらつけずに、そんなリスクを背負うだろうか。

一口に怨恨と言っても、その種類は様々だ。
例えば、見ず知らずの相手が一方的に思いを寄せて、怨恨となってしまう感情もある。
分かりやすく説明すれば、人気アイドル。時折、病的なファンが、そうした感情を抱くケースがある。

目当てのアイドルは、自分の存在すら認識していないと言うのに、のめり込みすぎてしまったばかりに精神的に異常を期し、自分の思い描いた勝手な理想像に囚われてしまうのだ。そしてその理想像に添わないことをすれば、「裏切られた」といった感情を芽生えさせてしまうのである。
そうした人格破綻者は確かに存在している。

相手は微塵も気にかけてもいなければ、存在自体すら知らないという事実を見失ってしまい、思い込んだ感情は、やがて「恨み」へと変わってしまうのである。

そうしたある種、特異な怨恨の場合、いくら被害者との接点を洗ったとしても、関係性はなかなか浮上してこない。
それはそうだろう。一方的な思い込みだからだ。過去の事例にも、そうした妄想から生まれた一方的な犯行が事件化したことが、現にいくつもある。

そうして推測していくと、犯人は物盗りなどではなく、初めから殺害自体が目的であった可能性が高くなってくるのではないだろうか。


(文・沖田臥竜)