◯強盗殺人
世田谷一家殺害事件やスーパーナンペイ殺人事件において、もし仮にだ。初動捜査の段階で、十分な捜査がなされていなかった側面があったとすれば、それは遺留品などの多さによる「繋がり」に少し寄り過ぎてしまったところ。そこが、弊害となってしまったのではないだろうか。
犯人が浮上していない殺人事件を捜査する場合、もちろん現場の状況にもよるのだが、多くのケースでは、怨恨や通り魔による犯行説と並行して、容疑者と被害者の関係者筋が考えられるものなのである。
家族、恋人、友人、同僚、取引先や仕事関係者、それまでに被害者周辺で起こっていたトラブル問題などの繋がりを追っていけば、どこかで容疑者が浮上するという考え方だ。
世田谷一家殺害事件やスーパーナンペイ殺人事件には、現場の状況などから、その捜査がやや先行してしまったきらいがあった。
そのために、初動捜査の聴き込みが必ずしも十分ではなかったのではないかと後に指摘されるのだ。
だが、上智大生放火殺人事件に関しては違う。
容疑者像として、そういった偏りを一切見せずに、初動捜査から「見ず知らずの物盗り」と怨恨の両方を視野に入れて捜査されているのだ。
抜かりにがなかったと言える反面、逆に言えば、それだけ世田谷一家殺害事件やスーパーナンペイ殺人事件と違い、どちらにも絞りきれなかったとも言えてしまうのだが、、、。
『葛飾区柴又3丁目女子大生放火殺人事件
【概要】
1996年9月9日午後4時40分ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の小林賢二さん宅が全焼。駆けつけた消防隊員によって小林さん方宅2階から、上智大外国語学部4年生(当時)だった小林順子さん(当時21歳)が救助されるのだが、その時、順子さんは既に死亡。救出された際、被害者の順子さんの手は粘着テープで縛られており、首には刺し傷などがあったことから、警視庁捜査一課では、直ちに殺人事件として亀有警察署に特別捜査本部を設置。
だが、事件は未解決のまま23年が過ぎ「世田谷一家殺人事件」「八王子スーパーナンペイ拳銃強盗殺人事件」と並んで、平成三大未解決事件として扱われることとなった。現在でも専従班によって捜査が続けられている未解決事件』
通常、殺人事件における犯行目的で群を抜いて多いのは、金目当てである。例外的に「誰でも良かった」という通り魔などの犯行も確かにあるのだが、多くは金銭目的。次に男女の痴情のもつれではないだろうか。この動機についても、大別すれば怨恨といった理由に括られるだろう。
「葛飾区柴又3丁目女子大生放火殺人事件」において、怨恨か金銭目的か、はたまた通り魔による犯行か。
捜査一課がなかなか決めかねていたには、もちろん理由がある。それは第一に室内を明確に物色した痕跡や、何かが盗まれた確実な事実が余りにもなかったのだ。
その後の捜査でようやく小林さん宅1階の戸棚が物色されていたのが発覚。旧札の1万円札がなくなっていたのが判明したために、「強盗殺人罪」を適用することになったのだ。
これによって犯人が逮捕されれば、よくて無期懲役。もしくは極刑しかなくなったのである。極刑とは、言うまでもなく自らの命をもって、罪を償う「死刑」のことである。
奪われた旧1万円札は、1986年まで発行されていた聖徳太子の肖像画が印刷された紙幣で、順子さんのお父さんが1階居間の戸棚の引き出しの中に、記念のために保管していたものであった。
こうして罪状的には、裁判にかけれた場合、2度と社会の地を踏むことができない「強盗殺人」の罰で処罰することが可能となったのだ。
しかしだからといって、強盗目的で小林さん宅に侵入。たまたま居合わせた順子さんと鉢合わせになってしまったために、突発的に順子さんを殺害し、証拠隠滅のために火をつけた、と推理するには、余りにも乱暴過ぎるだろう。刑事罰的には、強盗殺人が適用できるとしてもだ。
何故ならば、順子さんは2日後に、渡米を控えていたのだ。そのため2階の順子さんの室内には、リュックがあり、その中には日本円や米ドルで10万円以上の現金が入っていた。このリュックに犯人は目もくれていない。
わざわざ1階の戸棚を開けなくても、順子さんの箪笥の引き出しを開ければ、通帳なども入っていたというのにだ。まさか旧1万円札が目的だったとは、考えられない。
人の命を奪ってまで、金品を奪うのが目的ならば、とにかく手当たり次第、物色するのが普通ではないか。
だが、順子さんの室内。もっと言えばリュックすら、あけられた形跡がなかったのである。
(文・沖田臥竜)