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甦る任侠道精神

■菱のカーテンの向こう側 ー甦る任侠道精神ー

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反社会的勢力と位置づけられ、暴力団は必要悪ではなくなった、と言われることが多くなった。だが果たしてそうだろうか。社会通念から鑑みるまでもなく、「悪」と明確に表記される存在であるのならば、是非を論じるまでもない。必要ではないはずだ。だがどれだけヤクザに対する法の厳罰化が加速しても、その存在自体だけは罰せられることなく現在も存続している。
そういった理念から考えれば、ヤクザを暴力団として必要悪か否かを論じること自体が、実は滑稽であったのではないだろうか。

繰り返すが、本当に「悪」として社会に認知されているのならば、既にヤクザ組織には結社罪が適用され、海外マフィアのように存在しているだけで、罪として罰せられていたはずだ。
ならば何故、ヤクザは今も根絶されることなく存続できているのか。日本だけが特別な文化なのだろうか。それは違うだろう。
日本のヤクザ組織が海外マフィアとは体質や組織形態が異なっているからだ。
海外マフィアは、組織内に血の結束があったとしても、外部に対しては違う。犯罪を犯すことに躊躇がない。だが日本のヤクザ組織は、精神の真髄に起因するところが大きい。言うならば、どの組織であっても、根底にあるのは任侠道なのだ。
それは現在、対立関係にある六代目山口組においても、神戸山口組においても同じであると言えるのではないだろうか。
そして今、その任侠精神が全国各地で発揮されている。

終戦直後の日本は、現在の「新型コロナウイルス問題」など、比較にならないほどの国難に見舞われていた。治安に置いてもそうだろう。だが一定の秩序が保たれていたからこそ、現在に至るわけであるのだが、その治安維持の一端を担ったのは、ヤクザの存在があったからだ。決して多くは語られることはないかもしれないが、それは歴史が証明している。ヤクザ組織が自警団の役割を果たしていたから、秩序の乱れに歯止めをかけていたのだ。それは誰しも無意識の内に、意識しているのではないだろうか。だからこそ壊滅だけはさせらることなく、ヤクザは存在しているのではないか。

確かに時代は変わった。だが、ヤクザの真髄は現在も変わっていなかった。

現在の日本は、コロナウイルスの感染拡大を防ぐために、外出自粛要請がかけられており、飲食店を始め、どの企業や事業においても経済的に大打撃を受けている。経済的に追い詰められれば、必然的に治安は悪化する。悪化すればするほど、犯罪が生まれやすい状態が生じてしまう。
それは予測されていたことだった。
現在、全国各地で空き巣の被害が多発し、コロナ問題を逆手にとった悪質な特殊詐欺が流行してしまっている。
それを少しでも防ぐために、ヤクザ組織が各地で立ち上がっているのは、実際あまり知られていない。

「現在、六代目山口組と神戸山口組は特定抗争指定暴力団に指定されており、警戒区域では組員が集まることができない。そのため、警戒区域などでは、少数で何組ものグループに分けて見回りを続けている」(業界関係者)

これこそが本来の義侠心というものではないだろうか。愛知県では臨時休校となり、1人で留守番をしていた自宅に2人組の男がガラスを割って侵入しクレジットカードや現金を盗む事件が起きた。他でも類似した事件や空き巣が起きている。
そういった現状に、各地で人知れずヤクザ組織が自警団を形成し、犯罪防止に努めているのだ。

またある組幹部は、全国民に一律給付される十万円についても、このように語っている。

「当たり前だが、我々が受け取るわけにはいかない。どうしても受け取らなければならないのなら、どこかに寄付させてもらう」

ヤクザは必ず国難に立ち上がって見せてきた。震災が起きれば、たとえ売名行為だと揶揄されても支援物資や炊き出しなどを行ってきた。日頃どれだけ排除された存在になっていたとしてもだ。

「困っている時に助け合うのは当たり前のこと。それを世間がどうとるかは関係がない。好きなように言えばよい」(某組織幹部)

必要悪か否かもう論じることはないだろう。悪ならば、ヤクザは既に根絶している。


前出幹部の「困った時に助け合うのは当たり前のことー」という言葉が、いつまでも心に残ったのであった。