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大型移籍

■名門、大平一門が六代目山口組傘下で集結か⁈

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著者の親分であった二代目大平組中村天地朗組長は、引退後も常々このように話していた。

「山口組というのは、やはり一つしかない。ヤクザとしての筋は、六代目山口組にしかない。山口組は一つにならんとあかんのや」

そうした中村親分の想いを察し、六代目山口組へと復帰の決断をしたのが、群雄割拠と言われる大阪ミナミで一大勢力を誇っていることで知られる平野権太会長率いる権太会であった。

平野会長は、もともと二代目大平組の出身で、同組内で最高幹部を歴任していたのだが、平野会長の服役中に二代目大平組が中村親分の引退に伴い解散。その為、出所後は、神戸山口組系列組織で、復帰を果たしていたのだった。

その期間も、陰日向になりながらも、引退された中村親分を大切にされていた。そして、常日頃より中村親分が口にしていた言葉を重く受けとめて、神戸山口組に恩義を感じながらも六代目山口組へと移籍したのである。平野会長が移籍することになったのは、六代目山口組の中核組織。三代目弘道会にあって、分裂抗争の最前線に立ち爆発的な勢力拡大を見せていた野内正博組長(三代目弘道会若頭)率いる野内組であった。

それが去年の大型移籍と言われた100人規模の移籍であったのだ。

そして今回、その権太会に二代目大平組の伝統を脈々と受け継ぐ組織が加入することになったのだ。その勢力は二代目大平組本部があった兵庫県尼崎市を始め、長野県、鹿児島県、山梨県にまで延びている三代目大平組であった。
三代目大平組は二代目組長の中村親分が引退したあと、同組で若頭を務めていた中村彰宏会長が「大平を興す會」として結成した組織、大興會が前進となる。

その後、大興會は一時、独立組織として一本独鈷の歩みを経たのちに、任侠山口組へと加入。それに伴い大平組の名称を復活させて、三代目大平組として、任侠山口組の直系組織となっていたのだ。

だが、こうした最中から現在に至るまで、トップである中村会長は、服役中で社会不在を余儀なくされていた。
そして今夏の出所を目前に控え、動き出したのである。絶大な勢力を誇る権太会への移籍。同時に名称を三代目大平組から大興會へと改めたのであった。

二代目大平組の組長であった中村天地朗という人は、政治的なことを好まず、とにかく寡黙で誰よりも自身に厳しい親分であった。昔気質の親分で、たった一度の弱音を吐くようなことをしなかった。
二代目大平組の組員は、その背中を見て育ってきた。それは例え、山口組の分裂という空前絶後の出来事で、所属する上部団体がそれぞれ異なったとしても、その絆は様々な垣根を超えて、変わることがなかったのである。

そして今回、権太会の名の元に大平一門が集結し、初代から脈々と受け継がれた伝統を死守していくなったのである。

現在、山口組の分裂問題は特定抗争指定暴力団に指定されたことによって、膠着状態になっている。その状態に、新たな動きとして影響を及ぼす可能性が、今回の移籍にはあるのではないだろうか。


(文・沖田臥竜)