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遺産相続

⑥■ 放火か事故か『新宿・歌舞伎町雑居ビル44人死亡火災』⑥遺産相続

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◯遺言

1993年7月7日。始まったばかりの夏の日。当時17才だった私はその日、悪友たちと「七夕暴走」と称して、国道171号線を派手に改造した単車で暴走していた。
暴走族が全盛期の頃のことである。私たちが単車に跨り、大阪市内を暴走していた同じ時刻。私の地元、兵庫県尼崎市内では、当時19歳の少女が何者かに刃物で刺されてた上に、車ごと焼かられるという凄惨な殺人事件が起きていた。

私は勿論のこと周囲で誰一人、殺害された少女と面識がなかった。誰も少女の名前すら知らなかったのだ。しかし私にとっては、忘れられない事件となっていった。

それは事件から数日後のことであった。
高校にも進学せず、かと言って働くこともしていなかった私は、同じような境遇の同級生たちと毎日、朝まで遊びまわっていた。そして陽が上り始めた朝方に自宅に帰り、眠りにつくような堕落した生活が日課になっていた。
そんなある日、一本の電話で叩き起こされた。まだ携帯電話なども普及していない時代のことだ。

けたたましい音で鳴り続ける自宅の固定電話に、眠たい目を擦りながら受話器を上げると、電話の相手は母であった。

「あんた!すぐに店に来なさい!」

電話口の向こうから、母のとがった声が漏れてきた。当時、母は自宅から歩いて5分ほどの離れた場所で、飲食店を営んでいた。多分だが私は「何でいかな行かんねん」といったようなことを面倒くさげに言い放ったように思う。すると母はきつい口調でこう言った。

「刑事さんがあんたに話しを聞きたいって、今、店に来てるからすぐに来なさい!」

俗に言う不良少年だった私は、一瞬、思考が停止した。停止した頭の中で、何がバレたのだと思いを駆け巡らせていた。残念なことに思い当たる節がありすぎて、17歳の少年だった私は、ただただ気が動転していたのを覚えている。眠気など瞬時に吹き飛んでしまっていた。

足取りはすこぶる重く、憂鬱な気分で店に出向くと母が電話で言っていた通り、刑事が2人、私が来るのをカウンターに座って待っていた。そして開口一番、私はこう尋ねられた。

「君は先日の七夕の日の夜、何をしていたの?」

その問いに私は内心、「あっちゃ!七夕暴走がバレてもうてるやん」と全くの見当違いを脳裏に駆け巡らせていたのであった。

後に七夕の日に殺害された女性は、暴走族に殺されたのではないかと噂されるのだが、改造した単車で深夜、爆音を轟かせ国道を暴走する行為と、殺害では同じ犯罪行為であったとしても、刑罰の重みが明らかに違う。だが現に刑事たちは、当時の不良少年たちの聞き込みを行っていたのは確かであった。
その中の1人がたまたま私だったわけなのだが、今思うと確かに暴走族の少年たちの犯行も視野に入れて捜査していたと思う。しかし実際は、それだけではなかった。
何故ならば、その時に「この人物らを見たことないか」と刑事から見せられた写真には、被害者の写真の他に、一枚も不良少年の写真などなかったからだ。全く知らないパンチパーマをあてた当時の私たちよりも、もっと上の世代の人物ばかりであった。

結局この事件は解決を見ぬまま、未解決事件となり、2008年7月7日に公訴時効を迎えることになるのだが、その後も、あの事件は誰々がやったようだ、などという噂を耳にすることは全くなかったのだった。


【概要】
『歌舞伎町ビル火災
2001年9月1日午前1時ごろ、東京都新宿区歌舞伎町一丁目の雑居ビル「明星56ビル」(地上4階、地下2階)が爆発音を轟かせて出火。
東京消防庁は、梯子車などを含む消防車と救急車を約100台出動させたのだが、沈下させるまでに5時間40分を要することとなる。逃げ遅れた44人もの人々が一酸化炭素中毒や全身火傷を負い死亡。死亡者数で言えば、1982年2月に発生したホテルニュージャパン(東京)での火災(死者33人)を上回る戦後5番目の大火災』


本来、別件逮捕とは、本件で逮捕するために微罪などで身体を拘束しておいて、本件での逮捕に向けて取り調べを行うことなどをさすケースが多いのだが、その別件そのものが殺人事件というのは、稀ではないだろうか。
何故ならば、殺人事件だけで十分と本件となるほどの凶悪犯罪だからだ。
だがもし殺人が本件であったとしても、また別の大きな事件。例えば歌舞伎町雑居ビル火災のような死者44人を出した放火事件を仮に起こしていれば、殺人事件でさえ別件逮捕と呼ばれてしまうかもしれない。

2001年6月9日に板橋区で起きた殺人事件は、実の娘が父親の殺害を依頼した事件なのだが、その背景は複雑極まりなかった。

ここで事件をもう一度、振り返ってみたい。
この日、「主人が撃たれた」と110番通報が入ったのは午後8時ごろのことであった。
新宿歌舞伎町ビル火災が起きる3ヶ月前のことである。

殺害された工務店社長は自宅近くで工務店を経営する一方で、所有するマンションの管理や不動産の売買などを手掛けており、いわゆる資産家であった。110番通報をいれた奥さんとは、2人暮らしであった。警視庁捜査一課は直ぐに、高島平警察署に特別捜査本部を設置し、捜査を進めていくことになった。

犯行状況は、段ボール箱を手に宅配業者を装った犯人が、インターホンを鳴らし「宅配便です」と告げて、工務店社長を玄関先に呼び出し射殺していた。
その背景からも、計画的であったことは明らかだったのだが、まさか殺害を依頼したのが実の娘だったとは当時、110番通報をいれた奥さんも想像することすらできなかったのではないだろうか。

その引き鉄となるのが、殺害された工務店社長の遺産相続にあった。殺害された工務店社長と殺害を依頼した長女との間では当時、諍いのようなものが起きていた。それは工務店社長が長女に同居を持ちかけているのだ。そして奥さん、つまり長女からすれば、御高齢となったお母さんの面倒を見るように勧めていたのだ。理由はそれだけではなかったのではないだろうか。 
宗教団体とも言われる占いグループの代表の存在も、同居を持ちかけた理由の一つだったのではないだろうか。

占いグループの代表と殺害された長女との出会いは、事件の3年前に遡るのだが、そこから長女はその占いグループにのめり込んでいってしまうのだ。その娘の身を父親として心配し、ご高齢となった奥さんの面倒をみてもらう為にも、長女は同居を持ちかけられるのだが、長女はそれを拒んでいる。
それに業を煮やした工務店社長は、養子をとるようなことを口にするのだ。それに危機感を覚えたのは、長女であった。

ーこのままでは、父から相続される遺産の取り分が減ってしまうー

危機感を募らせた長女が相談したのが、占いグループの代表であった。
占いグールプの代表は、そもそも長女に相談される前からそこに目をつけていたのだった。

そして、「このままでは貴方に遺産が渡らない」といった内容を長女に吹き込み、殺害を唆すのであった。それにますます焦りを見せたのが、長女という構図になってしまうのだが、だったとしても殺害を依頼したのは長女である。

だが実際は、殺害された工務店社長は、養子を取ることもなければ、遺産を他に分け与えるつもりも全くなかった。

何故ならば、殺害される前年に遺言を作成しており、遺産は全て殺害を依頼した長女に相続されることになっていたからであった。


(文・沖田臥竜)