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責任能力

■16年の時を経て解決された『秘密の暴露』③ 文・沖田臥竜

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◯責任能力

ある捜査員が過去に、こう語ったことがあった。「取り調べ中にうなされて寝れない。ここの留置場はお化けが出る!お化けが出る!と毎日、取り調べ室で話すんや。事件が事件やっただけに、罪の意識から見えへんもんが見えたのかもしれんな」こうしたケースは珍しいことではない。罪の罪悪感から否認を一転させて、自供し出す被疑者も存在する。川瀬直樹もそうした狭間に苛まれて、自ら浅草警察署に訪れてきたのだろうか。いや、川瀬の場合は多分そうではないだろう。


島根二丁目アパート内強盗殺人事件
【概要】
2002年12月22日午前11時55分ごろ、東京都足立区島根二丁目のアパート「レオパレス西新井ミヤマ」207号室で、会社員の成嶋健太郎さん(当時23歳)が両足首を電気コードで縛られて、床の上に倒れているのが発見された。顔や額、背中は複数回、刃物で刺された傷痕が残されており、頭は鈍器で強く殴打された形跡があった。司法解剖の結果、直接的な死因は、頭部を強く殴打されたことによる脳幹部挫傷。室内からは成嶋さんの財布がなくなっていたことから、警視庁捜査一課は強盗殺人事件として、西新井警察署に特別捜査本部を設置。だが捜査は進展を見せず、数ヶ月で捜査班は別の事件へと転戦することとなり、未解決のまま事件はコールド(凍結)されることになっていた。


事件当時の川瀬には、精神科への通院歴があった。「不安神経症」という診断も出ており、カルテには「ちょっとした物音が気になる」「眠れない」などの症状が書き残されていた。

2018年6月。神奈川県茅ケ崎市の自宅で父親を包丁で刺して死亡させ、母親に対しても包丁で切りつけケガを負わせたとして、傷害致死と傷害に問われた女性の裁判員裁判では、「妄想に支配されたやむ得ない行動」と認定され、今年の3月19日に一審判決で無罪が言い渡されている。
人の死が心神喪失を理由に、一審では無罪となったのである。

犯人が精神状態に異常をきたしている場合、絶えず立ちはだかってくるのが心神喪失や心神耗弱となってくるのだが、川瀬においてもその可能性は十分に考えられた。
そもそも、逮捕後に身柄の拘束に耐えられると裁判所に判断されなければ、川瀬の逮捕状そのものが発行されない可能性もあったのだ。

そのため、捜査一課は川瀬をすぐに逮捕しようとはせず、まずは川瀬自身を説得することからスタートさせたのだ。要するに川瀬を囲ったのだ。
実質的に警視庁の監視下で、川瀬を精神病院へと入院させて治療に専念させる。そして、正常な判断が可能と医師の診断が出た時点で、その医師の鑑定書を証拠として揃えた上で、川瀬を逮捕する方針を選択したのであった。

川瀬を精神病院へと入院させて治療させることに成功した捜査一課は、当時から現在に至るまでの足取りや裏付け捜査を進めていった。
何せ事件直後の捜査を含めてこの16年間。川瀬は一切捜査線上に浮上してきたことがなかったのだ。

捜査の結果、まず判明したことは、2001年11月から2003年1月まで、事件現場となったレオパレスから僅か160メートルしか離れていない場所に父親と2人で暮らしていたことが分かった。
ただ当時、川瀬はそこに住民票を置いていたものの、事件直後はその場所には帰っておらず、レオパレスから500メートル離れた場所で野宿していたことが判明する。

入院中に任意で行われた捜査一課の取り調べに対し、事件現場となったレオパレスに川瀬自身の知り合いなどがいなかったことや、殺害した成嶋さんとも一切、面識などもなかったことが分かったのであった。

そして川瀬は、恐ろしいことを口にするのである。空腹と寒さに耐えかねた川瀬は包丁を片手に「片っ端からインターフォンを押して人を襲って、金を奪おうと思った」と供述するのだ。
現に、川瀬は犯行直前、公園から一旦、父親の住む自宅に帰り包丁を手にすると、事件現場となったレオパレスのドアホンを片っ端から押していったのだ。
そして207号室で、たまたま家を出る直前だった成嶋さんがドアを開け放った瞬間に部屋へと押し入り、成嶋さんを包丁で切りつけて、近くにあったフライパンで頭を殴って殺害。
成嶋さんが背負っていたリュックから、財布を奪い鍵を閉めて、現場から逃げ去ったというのが真相であったと判明するのであった。 

成嶋さんはこの時、実家に帰省する直前だった。

(文・沖田臥竜)