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コロナウイルス

新型ウイルス「コロナショック」と行政 文・沖田臥竜

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行政というものに全くもって興味がなかった。自分のことは、自分で頑張らないとどうしようもないということを身をもって知っていたからだ。
だけど今回の新型ウイルス問題で、嫌でも日本の行政と向き合うことになった。何故ならば、我々の私生活に直面するからである。

これまで誰が行政の実権を握ろうが、はっきりと言えば大差はなかったのである。増税などといった問題は確かにあったが、それは受け入れるしかない事で、誰が首相を務めた所で大なり小なりの不満は出る事は、歴史が証明している。
しかし今回の非常事態「新型ウイルス問題」は違った。予期せぬ事が日本を直撃したのである。
問われたのは、行政の舵を握る総理大臣の手腕だっただろう。
間違っても対策案などもなければ、何の権限もない薄っぺらいジャーナリストやコメンテーターの発言ではない。
あの声こそ、自粛させるべき声であった。必要以上に騒ぎ立てたお陰で、現在の混乱を招いてしまっている事すら気づいておらず、まるでSNS上でお祭り騒ぎの様相を呈している。

そこではない。まずは騒ぎ立てさせるのではなく、国民を安心させる必要があったのだ。
騒ぎ立てた所で、何も解決しない。結果、どういう対応をとっても、その手の人種は自分たちの思い通りにならなければ「だから私はあの時にこう言った!」と文句を言うし、言葉に何一つの責任感がないのだ。要するに責任のある立場ではないので、好き勝手に発言することが出来るのである。

日本という国はあくまで民主主義である。総理大臣であれ、独断で統治することは出来ない。だが日本の非常事態となれば、話しは別である。例え顰蹙を浴びようとも、世間から大バッシングの渦の中に巻き込まれようが、英断を下さなければならない。

そうした渦中で出されたのが、まず休校の要請であったのだ。卒業式を2週間後に控えた子供たちがいるというのにだ。2週間待つことが出来なかったのだ。
共働きの家庭に対しても、「下らない質問をするな」とぶった斬ってみせた政治家も存在した。

「私は今だけを見て言っているのではない。10年後20年後の未来を見据えて、まだ大丈夫だ!と言っているのだ!」

根拠などその時点でなくて良い。「この人が大丈夫だと言っているのだ、騒ぎ立てなくても大丈夫ではないのか」と思わす空気作りが混乱期には何より大切だったのだ。

「何を根拠に大丈夫と言ってるのだ!」

無論そういった声は上がるだろう。具体的な説明も求められるはずだ。だが予期していなかった事態に対策案も具体的な説明も出来るはずがないのだ。結果論からして、2週間後、「休校したお陰で感染を防げたと思われる」という状況しか生み出せなかった。

「卒業式はなかったけれど、コロナウイルスに感染しなくて良かったね」

そんな言葉で子供たちは納得できると思うか。
センバツ高校野球の中止に涙を流した球児たちに、そんなことで慰めになると思うか。

これまで日本の歴史の中で、様々な困難があったはすだ。それでもセンバツ高校野球を中止にした事はなかったのだ。それを中止にするという事がどういう意味かと理解できているのだろうか。
現状、自粛を声高に叫びながら、大人たちは普通に働き日常生活を送っている。
自粛を要請する総理大臣が、同じく自粛を騒ぎ立てるジャーナリストなどと会食し、そのジャーナリスト側は「友人とメシくらい食べる」と言う始末なのだ。
涙を流した子供たちに、「でも非常事態だから仕方ないのよ」と言って納得させれると思うか。
会食がいけないと言うのではない。自粛要請をかけるなら、せめてそれを世間に知られない配慮くらいは、必要ではなかったのか。子供たちや共働きの家庭、そして個人経営者などに影響が出ている中で、自粛を叫ぶ側が軽率すぎやしないか。

全てはオリンピックを開催させる為の措置と言う事は十分に理解している。極論を述べれば、今の経済がどうなろうと、オリンピックだけは延期させてはならないという強い意志が働いている。
その為の新型コロナウイルス対策特別措置法の成立だ。これによって総理大臣が緊急事態宣言を発令する事が可能になった。
緊急事態宣言とは相当にハードルが高く、私権制限をかける事が可能となり、これを発令すれば日本の経済は今よりも更に悪化するのは火をみるよりも明らかだ。
それでも新型コロナウイルス対策特別措置法を成立したのだ。いつでも発令できる段取りに入った。その理由は、是が非でもオリンピックを開催させねば、日本の経済は破綻するからだ。
アメリカの大統領の発言にあった、1年の延期となってしまえば、経済は保てない。
緊急事態宣言を発令してでも、開催国となる日本はそれを避けたいのだ。
そして数字的にも感染者を抑え、国際オリンピック委員会(IOC)に対して、「ですので、我が国は安全です。オリンピックを開催させてください」と示したいのだ。

その流れは理解できるが、それこそそれでオリンピックが延期になれば、誰かが責任をとれるのか。ましてや、それまでに潰れてしまう個人や企業は、仮にオリンピックが開催されようとも、それがきっかけで経済的に立ち上がる事はもう出来ないのだ。
多くの国民は、今を生きている。今の現状に嘆いたり悲しんでり、喜んだりしながら暮らしているのだ。

何かが起こる時には、どれだけ起こるかもしれないと騒ぎ立てた所で起きてしまう。対策はもちろん必要だが、最悪の想定ばかりした対策は愚策でしかない。

必要以上に騒ぎ立てた現状が、今である。

ロッキード事件で逮捕されたにも関わらず、歴史に名を残し、今の世にも英雄として語り継がれる田中角栄という人ならば、どういった対応をとってみせたかと思えてならない。