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死亡説

■最も別格な未解決事件 世田谷一家殺害事件⑥ 文・沖田臥竜

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◯死亡説


【概要】
『2000年12月30日。東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮沢みきおさん(当時44歳)方2階建て宅に何者かが侵入。自宅にいたみきおさんと妻の泰子さん(当時41歳)、長女にいなちゃん(当時8歳)、長男礼くん(当時6歳)を殺害。翌31日午前10時50分ごろに隣に住んでいた泰子さんの母親が発見。すぐさま警視庁捜査一課は、強盗殺人事件として成城警察署に特別捜査本部を設置するものの現在に至るまで未解決のままになっている。日本殺人事件史の中で最も有名な未解決事件』


空気が明らかに重い。事件発生から20年が経過しようとしているのだが、現場となった宮沢さん宅の周辺一帯は、今もなお異質とも言える空気感が充満しているような錯覚を覚えさせられる。
それが戦慄によるものか、何らかの違和感から発せられたものかは分からない。だが、肌に纏わり付く空気が明らかに違うのだ。

警視庁では19年以上にわたり、事件に少しでも接点を持つ人物の捜査をしらみ潰しに続けてきた。
殺害された宮沢みきおさんや泰子さんと、仕事上で関係のあった人たち。宮沢さん一家宅の周辺住民などの交友関係。宮沢さん一家と少しでも接点があった人物をたどっていった。 
例えば交通機関。事件が発生した日に、現場近くの千歳烏山や成城学園前などの駅を利用した人たちの切符類を回収して、指紋を調べるといった捜査もおこなっている。
だが時間が経つにつれて「M病院」や、近隣へと出入りしていた工事業者などを十分に洗いきれておらず、切符の回収も全てできなかったことなど捜査網から漏れてしまった部分があった。

遺留物や証拠類がこれだけあるにも関わらず、容疑者が一向に浮上してこない。
それは歳月が経てば経つほど「そもそも犯人はまだ生きて日本国内にいるのか、それとも既に死んでしまったのか」という疑問の蓄積に繋がっているとさえ言えるだろう。

無論、事件直後に出国した人物らを調べる捜査も、警視庁ではおこなっている。
だがそこには、必然的に限界があった。何故ならば、そこにDNAや指紋が残っていないからだ。
その上、出国した人物を把握したところで、出国者全員と現場に残された証拠類を照合するのは、不可能に近い作業となった。

結果、判明したことは過去の前科や前歴などから、警視庁に残っていたデータベースとDNAや指紋が一致しなかったことだけであった。

つまり前出の疑問「犯人が生きているのか、いないのか」については、「生きているかも知れないし、死んでいるかもしれない」という状況が続いてしまっているのだ。

事件から100年でも経過していれば「犯人は既に死亡している」と断言できるだろう。だが、発生から20年である。特に犯人像を「15歳から20代くらい」と絞っていることからも、歳月の経過だけで「犯人は既に死亡している」と断言することが出来ないのだ。

世田谷一家殺害事件を専従捜査する刑事たちは、捜査一課の中でも特殊な立場にある。その時々に発生した殺人や強盗などの事件にあたる捜査員と違い、事件解決の経験に接しないままで、捜査を続けていかなくてはならない。
未解決事件の一つ「スーパーナンペイ事件」などの捜査にあたる専従班も同じで、「もしかしたら犯人は既に死んでいて、逮捕できる可能性がないのではないか」という不安を認識しつつ、捜査を続けなければならない。


実際にこういった事例もあったのだ...。


今から11年前の2009年。広島県の山中で島根県立大1年の平岡都さん(当時19歳)の切断遺体が発見されるという事件が起きた。
そして発生から7年が経過した2016年12月。
島根・広島両県警合同捜査本部が会社員、矢野富栄容疑者(当時33歳)の犯行と断定。だが両県警合同捜査本部は矢野容疑者を逮捕しなかった。
いやできなかった。それは何故か。それは矢野容疑者が遺体発見直後に、交通事故を起こし既に死亡していたからだった。

結果、矢野容疑者は被疑者死亡のまま書類送検され、捜査が終結されることになった。
事件直後の捜査では浮上しなかった人物が、その後の捜査で浮上し、容疑者特定に至ったときには、既に死んでいたという事例の一つということなる。
容疑者として断定できたきっかけになったのは、矢野容疑者の遺品のカメラ。その中に殺害の凶器として使用した包丁を写した画像を、復元することに成功したからであった。 

ただ、一般論としては、捜査対象が死者だと捜査は極めて難しくなる。まずDNAや指紋は、既に埋葬されてしまっていることで採取不可能。その上、容疑者からの供述も得られないからだ。

世田谷一家殺害事件ついても、犯人の遺留物が豊富にあるのだが、仮に切断遺体事件のように、容疑者が死者相手だとなってくると、こうした強みが生かしづらくなってしまう。
他の条件でその人物の容疑者性が強いのであれば、容疑者の家族などのDNAなどを採取して、一致度を調べることができるにはできる。
だが、あくまでそれは任意。容疑者本人ではなく、容疑者の家族からDNAを採取するためには、相当の理由が必要となり、背景的にも極めて難しいケースが多い。

「お宅の9年前に亡くなった息子さんが殺人犯の可能性があるので、ちょっとあなたのDNA鑑定をさせてもらえませんかね?」

と突然、そんな厄介ごとを持ち込まれても、心情的に任意なら、誰も素直に応じてはくれないだろう。

それでも警視庁は「犯人が既に死んでいる」可能性を含めた捜査も行っている。
事件があった直後の2001年1月以降に世田谷や狛江、調布など周辺であった自殺や死亡事故を調べるといった作業をしたこともあったのだ。
ただ、あまり知られていないのだが、警察機関は社会で起きる「死亡情報」をほとんど把握できていない。
そもそも死者のデーターベースがないのだ。
事件や事故であれば警察が扱う案件のため、知り得るのだが、病死なら警察はまず関与しない。
また通常の自殺や交通事故による死亡では、死者のDNAや指紋を採ることもないのだ。
それらを扱った書類についても、長期間にわたり保管しておく訳でもない。

事件発生から何年も経ってから、世田谷事件直後にあった自殺事案を調べ直しても、既に当時の死亡書類などはほとんど残っていない状況だった。

また、犯人が仮に東京都外で死亡していたら、それについても知り得ることはできない。
それでも警視庁はこうした「死者の捜査」をおこない、事件当時に世田谷や調布などに縁があり、他県で死亡した人物がいないか情報を集めようとしたことがあったのだ。

しかし、警察にとって、ある特定の人物についての生死を調べることは簡単でも、不特定の死者の情報を後から入手することは極めて困難であり、そうした捜査はほとんど進まなかったのが実情と言えるだろう。

そのため、捜査員たちや事件関係者の中には、今も「そもそも犯人はまだ生きているのだろうか」という答えのない疑問が常に残り続けているのである。


だが迷宮入りした未解決事件が突如、解明されるのは、いつもほんの些細なことがきっかけである。
それがいつどのような形で動き出すかは分からない。可能性は極めて低いかもしれない。しかし絶対に解決が不可能かと言えば、決してそうではない。

次回は時効が撤廃され、16年の時を得て解決に至った事件の背景をたどっていきたい。


(文・沖田臥竜)