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迷宮

■最も別格な未解決事件 世田谷一家殺害事件⑤ 文・沖田臥竜

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◯迷宮

【概要】
『2000年12月30日。東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮沢みきおさん(当時44歳)方2階建て宅に何者かが侵入。自宅にいたみきおさんと妻の泰子さん(当時41歳)、長女にいなちゃん(当時8歳)、長男礼くん(当時6歳)を殺害。翌31日午前10時50分ごろに隣に住んでいた泰子さんの母親が発見。すぐさま警視庁捜査一課は、強盗殺人事件として成城警察署に特別捜査本部を設置するものの現在に至るまで未解決のままになっている。日本殺人事件史の中で最も有名な未解決事件』


20世紀最後の日に発覚した世田谷一家殺害事件。4人が惨殺されるという衝撃的な事件現場には、数多くの遺留品が証拠として残されていた。
だが遺留品やDNAなどの証拠類が、それだけ多く残されていたにもかかわらず、捜査はデッドロックに乗り上げてしまった。

時効撤廃により、警視庁捜査一課の執念とも言える捜査は続いているが、今現在、捜査に進展は迎えていない。
著者はこれまで仮説を述べたことがないが、仮に著者が仮説を唱えようとしても、仮説ですら一本の線に繋ぎ合わせるストーリーが浮かばないのだ。

例えば、外国人犯人説を考えた場合、年齢的に2018年5月に公表された、「事件当時の犯人の年齢は15歳から20代くらい」というのが、どうしてもひっかかるのである。
そんな若者が海外となる日本へ何らかの理由でやって来て、逮捕もされることなく一家殺害強盗という事件を打てるだろうか。そしてその後、易々と国外に出国することが出来るだろうか。
少なくとも15歳16歳といった年齢には無理ではないのか。
仮に事件後、日本国内にとどまっていたとして、これだけの殺害事件を犯しておきながら、通常の社会生活を送ることが出来るか。尋常では考えられない異常性を胸に宿しつつ、ひっそりと息を潜めて20年もの間、暮らして行くことが出来るか。

事件前まで犯人がどの程度の社会生活を送れていたのか判別のしようもない。だが、事件後そのタガがより一層、外れていてもおかしくないはずだ。
それはそうだろう。逮捕されれば、自らの生命で報いを受けるのは確定している。
そこまで頭が働くのなら、自暴自棄になり、更なる事件を起こしたとしてもおかしくないはすだ。

だがその後、どの事件現場からも犯人の指紋やDNAは摘出されていない。
ならば、やはり出国となる。それも年齢的に遺留品などから考えると、十代の外国人だったということはないのではないか。


外国籍だとすれば、犯人は何故、世田谷周辺に土地勘があったのだろうか。他国から日本へと出稼ぎに来ていたのか。そうやって考えていけば行き着く果てが、事件現場となった宮沢さん宅近くの「M病院」と、事件当時におこなわれていた宮沢さん宅周辺工事の関係者に辿りついてしまうのである。

少なくとも、犯人は誰かに命じられて、宮沢さん一家を殺害したとは、とてもじゃないが考えられない。このような精神異常さとしか考えられない犯人に、殺害など命じられるはずもなければ、誰かの指示ならば、リスクを考えて現場からすぐに撤収させているはずだ。
だが犯人にそのような形跡は全くない。犯人は自らの意志で犯行に及んだとみて、間違いないのではないだろうか。


警視庁は威信をかけて粘り強い捜査を現在も続けている。しかし、歳月の流れまで考慮すると、偶然の偶然。更に偶然が重ならない限り、世田谷一家殺害事件を、迷宮の中から取り出してみせるのは相当に困難ではないだろうか。


世田谷一家殺害事件の取材を始めた際、長年、現場で取材を続けてきた人は、こう話していた。

「調べれば調べるだけ、世田谷だけは分からない」

その言葉が重くのしかかってくるのであった。


(文・沖田臥竜)