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犯人像

■最も別格な未解決事件 世田谷一家殺害事件③ 文・沖田臥竜

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◯犯人像

【概要】
2000年12月30日。東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮沢みきおさん(当時44歳)方2階建て宅に何者かが侵入。自宅にいたみきおさんと妻の泰子さん(当時41歳)、長女にいなちゃん(当時8歳)、長男礼くん(当時6歳)を殺害。翌31日午前10時50分ごろに隣に住んでいた泰子さんの母親が発見。すぐさま警視庁捜査一課は、強盗殺人事件として成城警察署に特別捜査本部を設置するものの現在に至るまで未解決のままになっている。日本殺人事件史の中で最も有名な未解決事件。


これまで多くのメディアで報じられてきた遺留品や遺留物であるが、世田谷一家殺害事件の特徴と言えば残忍性と異常性。そして他の未解決事件とは比較にならないほどの、遺留品の多さと言えるだろう。
現場には犯人が来ていた服装、そして犯人断定へと結びつける証拠が、そのまますっぽりと置き去りにされていたのだった。
指紋やDNAが偶然にも採取されたなどの話しではない。
2階の風呂場の壁には、宮沢さん一家とは異なる右手の形をした血の跡まで残されていたのだ。

犯人が宮沢さん一家を殺害した柳刃包丁、着ていたトレーナー、履いていた靴跡、被っていた帽子、巻いていたマフラー、持っていたヒップバック、つけていた香水、はめていたマフラー、柳刃包丁を包んでいたと思われるハンカチ、所持していた文房具に至るまで、現場からは採取され製造先、販売店まで特定出来ている。
特に殺害に使用した柳刃包丁については、事件前日に小田急線経堂駅前の量販店で、売られていたことまで判明しているのだ。
犯人もしくは、犯人に関係する何者かが、事件前日にその場所に存在していたのである。それでもその足取りが全く掴めていない。

DNA鑑定では、犯人の血液と一致した髪の毛。母方が欧州あるいは地中海の民族の特徴を持っている点まで指摘されている。
DNA型そして遺留品、特に靴の販売条件などから、今も根強く唱えられる犯人象が外国人説となってくるだが、その中でも根強いのが韓国や東アジア系説ということになるだろう。

現場に残された足跡から判明した靴は、英国ブランドのテニスシューズ「スラセンジャー」28センチだった。このスラセンジャーは他の国では販売されていない。韓国のみで製造されており、韓国のみで販売されていたのだ。サイズが28センチとなると400足しか製造されておらず、事件当時には既に完売されていたのだった。
このスラセンジャーの土足痕が室内には多く残されており、他に土足痕は発見されていない。
その為、世田谷一家殺害事件は単独犯であったとほぼ断定されているのである。

ただスラセンジャーについても、犯人が韓国人と直結するかと言えば、流石にそれは短絡的過ぎるだろう。
ただ単に韓国へと犯人が行った時に購入しただけかもしれないし、他から譲り受けた可能性だって否定できない。
そもそも遺留品には、海外よりも国内で販売されていたものの方が多く、たとえ犯人が外国籍だったとしても、遺留品の販売状況などから考えると、たまたま来日した外国人というわけではないだろう。

少なくとも、遺留品の販売時期や状況から現場付近の世田谷、杉並、調布、狛江といった東京23区西部側に、土地勘のあった人物だったと見られている。

これだけの材料がありながら、世田谷一家殺害事件では、特定の人物が浮上してきていない。
当然、長い歳月の中には、何人もの人物を疑い潰していくという作業が繰り返されてきた。
だが、八王子のスーパーナンペイ事件(95年7月31日、八王子市のスーパーナンペイで起きた大和田町スーパー事務所内拳銃使用強盗殺人事件)とは違い、誰ひとり容疑者といえるほどのレベルに到達していないのだった。

結局、証拠だけは山のようにあるものの、ホシだと睨める人間すら、浮かび上がっていないのであった。
事件発生から20年を迎える現在では、犯人が生存しているのか、それとも既に死亡しているかさえ分からないのだ。仮に既に死亡してしまっていれば、永久に犯人へと辿り着けない可能性も否定できない。
その為、警視庁では何年も前から、既に死亡した人物の中に、世田谷一家殺害事件との接点があるものはないか調べる捜査も進めている。
ただ、この20年もの間に死亡した人物は無数にいる。時間が経てばたつほど、それもまた一つのネックとなってしまっている。


(文・沖田臥竜)