>  > ■最も別格な未解決事件 世田谷一家殺害事件② 文・沖田臥竜
否定

■最も別格な未解決事件 世田谷一家殺害事件② 文・沖田臥竜

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

○否定

【概要】
2000年12月30日。東京都世田谷区上祖師谷3丁目の宮沢みきおさん(当時44歳)方2階建て宅に何者かが侵入。自宅にいたみきおさんと妻の泰子さん(当時41歳)、長女にいなちゃん(当時8歳)、長男礼くん(当時6歳)を殺害。翌31日午前10時50分ごろに隣に住んでいた泰子さんの母親が発見。すぐさま警視庁捜査一課は、強盗殺人事件として成城警察署に特別捜査本部を設置するものの現在に至るまで未解決のままになっている。日本殺人事件史の中で最も有名な未解決事件。


事件発生当初、捜査警視庁一課内部でも「犯人はすぐに捕まえれるだろう」と楽観的な見方が多かったと言われている。それは他の事件と比較しても現場に残された遺留品や遺留物など、犯人に直結する証拠の多さが群を抜いていたからだ。
且、現場からは犯人のDNAや指紋も採取されていた。結果論でしかないのだが、それがかえって仇になってしまったのかもしれない。
何故ならば、そうした背景から事件発生直後の聞き込みなどが、十分になされていなかったからだ。
まずは真っ先に潰しておかなくてはならなかった現場近くにある「M病院」。
この病院には、精神障害やアルコール依存症を抱えた人たちが入院しており、後日、迷宮入りしてから本格的な聞き込み作業に着手した時には、時間が経ち過ぎていた為、関係者全員から聞き込みを行える状況ではなくなってしまっていた。
現場周辺近くで行われていた工事に携わっていた関係者らについてもそれは同様であった。

そうした背景から、未だに犯人は宮沢さん一家と面識のある「鑑」だったのか、全く無関係で宮沢さん宅に押し入った「流し」であったかのさえ判別されていない。
現状、有力な容疑者が浮上していないからこそ「初動捜査の手落ち」を指摘する声があるのだが、だからと言ってそこに犯人に繋がる何らかの根拠が存在するかとまでなれば、そうではないのだ。あくまで「たられば」論に過ぎないだけである。

例えば第一発見時、宮沢さん宅の電気がついていたか消えていたかということさえ、未だに判然としていない。犯人の侵入経路についても、風呂場からの侵入説が有力なだけで、特定するまでには至っていない。

当初、犯人は翌31日の朝方まで事件現場に居座っていたと推測されていたが、それも事件発生から14年が経過した2014年に修正されている。
犯行後、犯人が朝方まで居座っていた根拠となったのが、これまで多くのメディアでも報じられてきたように、PCの起動履歴であった。正確にPCが起動していた時刻は、31日午前1時18分から5分18秒の4分間だけであり、この4分間内にフォルダを作成したり劇団四季のホームページにアクセスしていたのだ。それが再び起動したのが、おおよそ9時間後となる午前10時。これを根拠に「犯人は朝まで宮沢さん宅にいた」説を唱えることになったのだが、後々の捜査でその際にサイトを移動させていた形跡もなく、第一発見者となった泰子さんのお母さんが訪れた時間帯などから推測され直し「午前10時のPCの起動はマウスの落下によるもの」と結論づけられることになったのであった。
この結論に至るまでに、14年の歳月が必要とされたのだ。どれだけ捜査が難航しているか、この一点だけをみても理解することができるのではないだろうか。

そして現在では、犯人は31日未明まで宮沢さん宅に残り、朝になる前には現場から逃走したと考えられている。
ただ、それすらも侵入及び逃走経路を断定しきれていない以上、完全な確証にまでは辿りついていない。

こうした背景を考えた場合、犯人を特定できたと唱えたジャーナリストや元記者の論説が、如何に薄っぺらいものであるか分かるのではないだろうか。
有力な容疑者が全く捜査線上に浮上していないのだ。それだけに少しでも怪しき疑いのある人物がいるのならば、そこに存在しているのならば警視庁は黙っていない。その人物を徹底的に洗い上げて、白なのか黒なのかはっきりとした答えを出しているだろう。

それが答えが出ていない以上、あくまで犯人有力説を唱える側のただの憶測にしか過ぎない。


(文・沖田臥竜)