>  > ■菱のカーテンの向こう側ー山口組組員にとっての聖域ー
山口組総本部

■菱のカーテンの向こう側ー山口組組員にとっての聖域ー

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五代目山口組時代、渡辺芳則組長宅があったことから「本家」と呼ばれていた現在の六代目山口組総本部。平成17年に六代目体制が発足すると、司忍組長宅が名古屋にあることから、名古屋の司組長宅を「本家」。神戸市灘区にある六代目山口組総本部を「総本部」と呼び、使い分けるようになっていた。


六代目山口組総本部とは、山口組組員にとって聖域にも等しい場所であった。例えば刑務所の中でも、山口組系組員同士が会話する際、「自分は総本部に行ったことがある」と言えば、それだけで一目置かれるような場所であったのだ。 


著者自身、五代目体制時代。二十代で初めて総本部の駐車場に「ガレージ当番」と呼ばれる任務で総本部の敷地に入った時には、「ここが本家か」と感慨深い感情を抱いたことを覚えている。
その後、六代目体制に入り、著者が所属していた組織の親分のお供で総本部に出入りするようになるのだが、総本部へ行くたびに身の引き締まる思いを感じていたのである。


ー自分がヤクザをやっていることー


ということを改めて感じさせてくる場所でもあったのだ。
特に今でも鮮明に覚えているのは、月に一度総本部で開催される定例会に、著者の所属していた組織の親分が社会不在を余儀なくされた為、著者が代理出席した時のことだ。定例会では始めに出席をとるのだがその際、代理出席者は「代理です」と返事しなければならない。


「ええか。総本部は独自の雰囲気がある。それに飲まれないように大きな声で、返事せなあかんぞ」


前日に心やすくして頂いていたプラチナ(直参)の組長から助言されたように、司組長を始めとした全国の親分集が一堂に開する総本部の大広間は、全身がシビれるほどの独自の空気が支配していた。
それは、六代目山口組総本部だけではない。
神戸市花隈にある山健組本部にしても同様であった。
著者が在籍していた組織は、阪神ブロックと呼ばれるブロックに所属しており、当時同ブロックのブロック長を務めていたのが、現在の神戸山口組 井上邦雄組長であった。そのため、公用で井上組長が率いる山健組本部へと伺うことがたびたびあったのだが、山健組本部もまた、独自の緊張感が漲る空域であった。


そうした山口組組員にとって、聖域であった場所が次から次へと10月11日に使用制限を受けたのである。五代目体制当時から確かにそういう危惧があったのは確かだ。


「五代目体制当時、今後、住民票を置いている組員しか本家に出入りできなくなる可能性があるとして、当時の総本部長。岸本才三組長(初代岸本組組長)と毛利善長組長(現・神戸山口組本部長)、それに初代岸本組本部長らが、そうした事態に備えて、本家に住民票を置くか検討したことがあったと言われている。今回も既にそうした事態には備えていたとは思われるが、実際、総本部を使用できなくなるのと、
将来的に使用できなくなる可能性があるのとでは、状況的にも心理的にも全く違うのではないか」(元・二次団体幹部)


確かに今回の使用制限は、組員たちのモチベーションや求心力の低下につながる恐れもあるかもしれない。
当局サイドは、今後更に使用制限を他の山口組傘下組事務所にもかけて行くとみられており、それを持って、両組織を特定抗争指定暴力団に認定する可能性まで視野に入れているのではないかと見られている。


「最終的には警察庁判断なのですが、現在の両組織の対立を抗争の激化として捉えれば、特定指定をかけるでしょう。現に髙山若頭(六代目山口組若頭)の出所が迫り、対立が激しくなってきていたのは確かです。そしていよいよ髙山若頭が出所してくるのです。分裂騒動に終止符を打つ動きも考えられる訳で、それに対して当局がより強い規制をかけたとしてもおかしくはないでしょう」(犯罪事情に詳しい専門家)


六代目山口組の分裂は、髙山若頭の社会不在中に起きている。それだけの影響力を持つ髙山若頭が出所してくるのだ。上記の専門家が指摘するように、当局が法を駆使してでも、六代目山口組、神戸山口組の両組織の対立を封じ込める動きを見せたとして十分におかしくない。
一部、任侠山口組も含めて、分裂騒動は三つ巴の戦いと言われていたが、ここへ来て警察当局の介入という思わぬ事態を迎えている。

文・沖田臥竜