>  > 『反社』の隣人 ースクープは眠るー⑬ー闇営業問題を世に出した記者ー 文・沖田 臥竜
ー大スクープに化けた闇営業ー

『反社』の隣人 ースクープは眠るー⑬ー闇営業問題を世に出した記者ー 文・沖田 臥竜

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今回の闇営業問題を報じるに辺り、写真週刊誌も当初、相当に慎重であった。慎重であったからこそ、中々記事として掲載されず、1カ月近くが経過することになる。
その間も、記者らは足を棒にしながら取材を続けていたのだ。私はそれを知っている。誰が笑うことができるだろうか。スクープにならなくとも記事にならなければ全ては、無駄なのである。
素材は決して良くなかった。それでも記者らは懸命に取材を続けていたのだ。その中に、反社会的勢力からのリークもなければ、逆に関係者らは非協力的なスタンスだったのだ。それはそうだろう。結果として大スクープに化けたからこそ、あたかも反社会的勢力からのリークがあったのではないかと好き勝手言われたり、書かれたりもしたが、当初はそんな片鱗が微塵もなかったのだ。誰が好き好んで協力してくれるというのだ。
それをこじ開けてきたのが、記事たちなのだ。

今回の闇営業問題の記事に対して、スタートの時点から私に協力の依頼があった。私は仕事としてそれを受けながらも、話しにならないと思っていたので消極的だったのだ。だが依頼してきた記者の記事にしようとする熱意に、私の気持ちが変化し始める。

そしていよいよ記事になることがほぼ決定した際、私は決意を固め2本の電話を入れた。

一本目は、アメトーーク!の司会が仮に宮迫氏でなくなるような事態になったとしても大丈夫かどうかの確認の電話である。
これは、本当の話しである。
誰もその時には、そんなことになることなど予想していない。まだ記事すら報じられていないのだ。だが私はそこまでは、行ってしまうのではないかと考えていた。

そして、もう一本は友人の猫組長に電話を入れたのである。事情を全て説明し、記者の取材に対する実直さと誠実さを電話で話した。

だからこそ、最初に私がまずツイッターでバズらせにかかったのである。記者が持ってきたネタをスクープにしてやろう、と考えたのだ。
そしてその記事は大スクープになった。その際、私は記者からこのように尋ねられた。

「本当に私のやったことは正しかったですか?そこに正義はありましたか?」

大スクープを打ったからと言って、誰もが喜びはしゃぐわけではない。関わった人間すべてに様々な葛藤があった。軋轢が生じたこともあった。口に出すことが出来ない背景だって勿論、存在した。
スクープを打つということは、いわばそうした副産物との戦いでもあるのだ。そして実直であればあるだけ、スクープを出した人間は悩むのだ。

私は記者からの質問に対し、こう答えた。

「記事にすることに正義を求めてはいけない。やりたくない仕事だって、書かなければならないことだって山ほどある。だけど、記者として胸を張るべきだ。スクープを出したのだ、記者として誇りに思うべきだ」

それは私自身が書く上で、心情にしていることでもあった。
食べていくために、書きたくなくても書かなければならない原稿など山ほどある。

それにそもそもが、私自体が正義を語れるような人間ではないことを誰よりも私が一番理解している。

それでも私なりの心情というものがあって、闇営業が白熱する中で、次に浮上しかけた問題を人知れず握りつぶすために動いたこともあった。

それはそこに私なりの仁義があったからだ。

(文・沖田 臥竜)