>  > 『反社』の隣人 ースクープは眠るー19 ー闇営業問題それぞの思惑ー 文・沖田 臥竜
続・闇営業問題②

『反社』の隣人 ースクープは眠るー19 ー闇営業問題それぞの思惑ー 文・沖田 臥竜

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闇営業問題がFRIDAYで初めて報じられ、世論が沸騰していた頃、Qは周囲に対して、このように吹聴している、と私の耳にも届いていた。

内容を要約すれば、ー 吉本興業が本気になった。もうFRIDAYにはこれ以上、報じさせないーというものであった。直接、私は聞いた訳ではないので事実についてはふれない。だがこうした発言が、かなり週刊誌サイドを刺激したのは確かではないか。

ただ、Qが自称かどうかは分からないが、裏広報と自負するならば、何故FRIDAYを始めとした各紙、媒体ともっと真摯に向かい合い、一つ一つ丁寧に話し合いの場を持たなかったのだろうか。

どこまで行ってもTV局と出版社は持ちつ持たれつのところがあり、それは多くの芸人を世に輩出している吉本興業も同様の関係にある。
それは何も非難される関係ではない。それが仕組みなのである。
現に広報がしっかりしているところは、普段からTV局や出版社への配慮が行き届いており、場合によってはその関係からスキャンダルがあったとしても、報じるのを見送るケースも決して少なくない。
それを世間では圧力に屈したと誤解されているが、決してそうではないのだ。
感情論として、人間誰しも世話もなっていない相手から高圧的な態度を取られれば、良い気はしないし反発も覚えるだろう。それと同じで、普段から最低限の意思の疎通をはかれていれば、圧力ではなく配慮が働くのである。

ーFRIDAYに次は絶対に報じさせないー

と、好き勝手に周囲に言われていたとすればFRIDAYの立場からすると、どのように感じるか。

アイツは何様なのだ、これで報じなければそれこそ力に屈したことになる、何がなんでもやってやろうじゃないか、とムキにならないか。

ただでさえ、闇営業を行った宮迫博之らも問題だが、反社会的勢力からのリークで動画などを買い取った週刊誌側も問題ではないか、と一部で吉本興業の所属芸人やしたり顔のコメンテーターがメディアで批判してみせていたのだ。
中には、反社会勢力と週刊誌側の関係を指摘しながら、何が目的で動画が今になって世に出されたのか事実を知りたい!と声高く叫んで見せる芸人までも出てきていた。

全ては憶測からの批判である。スタートの時点で反社会的勢力からのリークもなければ、金銭の授受も存在しない。
私自身に対しても、私の個人のTwitterを指摘し、当てこすりかのように、ー素人か玄人か知らないライター風情が、、、ーと発言していた芸人までも現れていた。そうした検討違いな憶測がどれだけ書き手側をムキにさせていったか思いを及ぼすことができなかったのだろうか。

ーFRIDAYに次は絶対に報じさせないー

と豪語していると言われていた翌週。FRIDAYは闇営業問題、第2弾を報じて世論に投げかけて見せた。
それを読んだ週刊誌の編集陣営は、私の知る限り、あれだけ報じさせないと豪語していたのに掲載されているではないか、と失笑していたのであった。

宮迫博之氏と田村亮氏の会見は、そんなQの根回しなど虚しく、世論のバッシングを悲劇のヒロインに変貌させたほど見事なものであった。そして私はこの時、世論が変わる瞬間をまじまじと見て、身震いを覚えたのである。

宮迫氏らに心苦しい会見をさせてしまったとして、吉本興業は処分を撤回。2日後に吉本興業社長が記者会見を行い、世間から吊るしあげられることになった。
それを見た吉本興業の芸人たちがそれぞれの大義名分を掲げ、積年の恨みとばかりに痛烈な会社批判を展開させることになっていくのは周知の通りである。

世論は時に感情を見失う。そして日本という国がらは、弱者への判官贔屓に傾くきらいが強い。
それは、冷静な判断をも誤ってしまうほどにだ。
冷静になって考えれば、宮迫氏らの涙ながらの会見があったからこそ、世論は激しく動いたのだ。
それを、あんなことを個人にやらせる会社は間違いだ、と叫ぶ芸人の自論は大きく間違っているのではないか。
会見があったからこそ、宮迫氏らに世論は傾き、味方する環境が整ったのだ。あの会見がなければ、宮迫氏らは未だバッシングの中に晒されていたかもしれないし、少なくとも世論が宮迫氏らを援護することはなかった。
そして芸人たちが、あの会見を盾に吉本興業を批判すればするほど、世論の感情は次第に冷静さを取り戻し、そもそもの原因は何であったかに戻ろうとしつつある。
そしてその間も、様々な思惑の入り乱れらる中で、各媒体が、今後どのように闇営業問題と向き合っていくか方針を固めつつあるようだ。

起きてしまったものは仕方ない。もしも裏広報のみならず、週刊誌や書く側に対して、適切な話し合いの場を吉本興業が設けていれば、ここまで事態が悪化することはなかったと思えてならない。

吉本興業の芸人のある記事が週刊誌で報じられようとした時、それを聞きつけたQは掲載しようとしている週刊誌の編集部にすぐに電話を入れている。

ー その話しは記事にするな。代わりにこの話しを独占でやらせてやる ー

こんなことをもともと書く側の世界にいた人間に言われて、「わかりました!仰る通りにさせて頂きます」となると思うのだろうか。確かに吉本興業の影響力は大きなものがある。だが、各媒体、週刊誌にしてもネット媒体にしても、時には先方に配慮し、時には事実無根だと罵られながらも、それぞれには自負があるのだ。それをこれまで影響力があるが上に、少しのことでも吉本芸人のことに断りをいれずに掲載すれば、相手が有名であればあるほど高圧的な態度で威嚇してみせてきた。
会社に対して、恫喝だ、パワハラだと叫ぶ芸人たちの中にも、週刊誌などの記事に対して、感情任せのクレームを入れてみせてきた。時には謝罪を要求し、何も大した出来ごとでもないにもかかわらず、頭を下げさせてきた。

誰もが屈して頭を下げていたのではない。いつかその恨みを晴らせる時まで、耐え忍んでいたのだ。

そして、その時がきてしまった。世論がいい加減しつこいと言おうが、なんらかの解決がつくまでネタが入れば報じられるのではないだろうか。


(文・沖田 臥竜)