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初心忘れべからず

新進気鋭の作家 ー伊邪那 太郎が放つ!ー 新連載『極道としての論理』②

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初心忘れべからず

ヤクザは経験がものをいうと言う人がいるが、必ずしもそうとは言えない気がする...。
結局、その人個人の資質だろうと思うのだ。
喧嘩もただ強けりゃいいってものでもない。
それこそ大所帯の組織ともなれば、出来の悪いものも必ず出てくる。
そういう出来の悪いものの不始末が原因で抗争事件へと繋がったケースも過去には多くあった。そしてこれからも起きるだろう。
ヤクザと言っても生身の人間である。
人間だからこそ絶対は無く、心に隙ができ、魔がさし、間違いを起こすのだ。
特にカネや女やクスリが典型的な失敗例である。

かくいう私も若かりしき頃に何度か間違いを起こしたことある...。だが、一切の弁明はしなかった...。
いや、親分が偉大過ぎて弁明できなかったと言った方が正しい。
そもそも人間生きてりゃ間違いの一つや二つはあるものだ。
ましてやヤクザである。
ただ間違いに気づき改められるか否かでその者の出来不出来が分かる。いや決まると言い切っても過言ではない。

礼儀や所作を知らない半グレが街中を我がもの顔で闊歩しているが、その半グレの大半が「元」か、その周辺の輩である。
生半可に格闘技を覚えたり、人前で入れ墨見せたがるボンクラ供...。
現役もまた、先人を敬い昔の教えに耳を傾けない半端なヤクザが多くなったような気がする。
これも単に若い衆=カネという図式が定着したからなのだろう。親方が親方ならついてる若い衆も推して知るべしとなるのではないだろうか。

近年、高齢者を狙い、カネを騙し取り詐取したカネが組の資金源になっている...。
とうとう落ちるとこまで堕ちてしまったものだ。
これも暴対法という悪法の産物なのだろう。
半グレとヤクザの区別しにくい現状を世間はどう見ているのだろうか。

各々がヤクザとしての自覚と先人の古き教えを受け継ぎ、次世代に継承させて行かねばならないという思いをしっかり胸に刻み、軽はずみな言動や人を騙すようなことは慎むべきだろう。

それこそが、まさに原点回帰と言えるのではないか。


文・伊邪那 太郎