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やられたら、やり返す

新進気鋭の作家 ー伊邪那 太郎が放つ!ー 新連載『極道としての論理』①

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ーやられたら、やり返すー

ヤクザにとって至極当然のことであり、時代は変われど今も昔も変わらないヤクザの論理だ。

そもそもヤクザの喧嘩は私利私欲のシノギがもとでの揉め事が多い。

もちろん組織の為に体をかける者もいるが、大概は個人的なもの。そんな中で、如何なる喧嘩も一々上に判断を仰ぐことに私は違和感を感じている。

今の現状はどの組織に置いても、上の者が若い衆を必要以上に規則を作って縛り、思考を低下させているようにしか思えてならないのだ。

増してや今の時代をヤクザとして生きるのは容易なことではない。
堅気さんに人気のある親方は其れなりに凌いでいける。だが若い衆は組織の宝であって財産だ。
都合のいいように使われれば、若い衆だって反旗をひるがえすのは世の常となるのではないだろうか。
其れもこれも、つまりは親方の器量ではないかと私は思っている。

若い衆は時間を拘束されて自分の時間が持てない。
見て聞くだけでは分からない。それは何十年ヤクザを取材し、したり顔でヤクザをかたったとしても同様だ。
実際にヤクザ渡世に身を置かなければ、理解することができない生き方こそが、ヤクザという生き方なのだ。その経験は後々の人生において、必ず役に立ち、困難さえも打破できる精神力を身につけさせてくれる。

だからこそ私は思う。
喧嘩にしても揉め事にしても、その都度、上層部の判断を仰がなければならない管理された組織形態に納得できないと。

そうした軋轢が歪みを生み、現在のこの状況を作り出してしまったのではないかという気がしてならない。
結果、それが当局のヤクザに対する取り締まりを強化させることに繋がってしまっているさえ言えるのではないだろうか。


文・伊邪那 太郎