>  > 小説「忘れな草」第31話 沖田臥竜
平成22年9月

小説「忘れな草」第31話 沖田臥竜

この記事のキーワード:
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

平成22年9月


 9月も半分終了したというのに、連日30度をこえる真夏日が続いていた。
その残暑の厳しさに辟易させられながらも、オレはまだ社会の真ん中で踏ん張っていた。
愛は叫んでいなかったけれど、社会にかじりついていた。
前刑6ヶ月を待たずして再び監獄ロックとなってしまった「太郎」になりつつあるオレにとっては、出所して9ヶ月が経っても「キップ」すら、発行されていない現状は正に快挙であった。
このささやかな快挙を祝して、誰かワシをキャバクラにでも、連れて行ってくれんだろうか...くれんか くれんわな。

「塚口!あんたまたキャバクラのコト考えてるや
ろっ!」
オレはサトラレかぁ!?それとも彼女がエスパーかっ!?
少し前を歩いていたゆまが振り返り、軽蔑した視線をオレに放ってきた。
「なんでキャバクラやねん。そんなもん興味すら、あっかいっ」
「まいどっ!みゆみゆは今日もバリバリ働いて、ぐっすらと儲けておりますかなっ?
オイラは上司に無理矢理つれまわされ、残業中ですー最悪早くお金持ちになって、こんな可哀相なオイラを幸せにして下さい。返事まってるでぇ!」
ギョッとした。
オレが昨夜キャバクラの姉ちゃんに送信したメール内容だった。
ゆまは一言一句たがえるコトなく、そらてメールを口ずさむと、まるで変質者でも見るような目でオレをニラミつけた。
しかしオレが送信したメールとはいえ、なんたる駄文であろう。コッパずかしくてありゃしない。
「あいのヤツ、また勝手に携帯さわったな。まったく困ったやっちゃで、アッハハハハ、、、ハハッッ、、、」
「子供のせいにするなんて、あんたホンマ人として最低やな」
彼女のおっしゃる通り、小学4年生になすりつけようとは、本当に最低な男である。
笑い声はむなしくひきつって消えていったのだった。

ムスッとした彼女が急に立ち止まったので、今度は何をサトラレたかと、どぎまぎした。
「わんわんや 」
わんわんなんて、源氏名のキャバ嬢なんていただろうか、と一瞬ドキリとさせられたが、それはキャバ嬢の源氏名ではなかった。
わんわんとつぶやいたゆまの視線の先には、電信柱があって、そこにに白黒のチラシが貼り付けられており「わんわん」がいたのだ。

ーこの6月にうまればかりのシーズー犬です。心から大切に育ててくれる人を探しています。4万5千円から6万円までー

心から大切に育ててくれる人を探しているクセに、一4万5千円から6万円までーと、わざわざ太字で値をつけてる箇所に、かすかな胡散臭さと大人の事情が垣間見えてくるような気がしてしまうが、「わんわん」の白黒写真の上には、そう書かれてあった。

「わんわん 」
今度は電信柱を見てつぶやいたのではなく、オレに視線をむけながら、ゆまがつぶやいた。

わんわん、とつぶやくゆまの瞳は、白黒の写真の「わんわん」にも負けないくらい無垢なものだった。
「あかんっあかんっ、そんな顔してもあかんて。
かわれへんぞ」
「わんわん 」
はっきり言ってしまおう。こんなコトをまたサトラレてしまえば、大変なコトになってしまうが、オレにとって今のゆまは鬼軍曹殿にしか見えない。
実際、鬼よりも怖い。
そこには愛もなければロマンスもなく、そんな幻想がつけいるスキなど、もっての他である(こんなコトを言ってしまって本当にオレ、大丈夫であ
ろうか)。
だけどこういう時のゆまは違う。3人のチビ達と同じ瞳をして、オレを見つめる
思わず抱きしめてやりたくなってしまう瞳をして、オレを見つめる。

「マンションやねんから、買える訳ないやろ。ただでさえ大家のおばはんがうるさいのにムリやてっ」
「なんでっ!3階の小西さんトコ、マルチーズこうてるやんかあっ!あれはええのぉ!」
ゆまは頬を膨らませて唇をとがらせた。
オレの記憶が正しければ、出逢ったばかりの彼女は、いつもこういう表情をしてオレを見ていたように思う。
声も今ではすっかり定着してしまった鋭く研ぎ澄まされた色のものではなく、甘くてとろけてしまいそうな耳に優しいものだったような気がする。錯覚であろうか...。

「小西んところは大家の親戚かなんかなんやろ。あそこは特別やって、ゆま自身がいつもゆうとるがな」
「なんでよっ!ケチ!アホこうていやあっ!」
「ダメなものはダメですっ」、
「バカチン、オタンコナスー!」
「あかんっ!」
駄々をこねるゆまをピシャリとはねつけた。そんなオレの袖を引っ張って、ゆまは地団駄踏んで動こうとしない。

あの頃のゆまは、いつもこういう表情をしていたように思う。