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人気芸人の品質と自覚

とろサーモン久保田大炎上! 文・沖田 臥竜

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人気芸人の品質と自覚


今でもYouTubeでジャルジャルの「タメ口」というネタを観るので、そのため私的には彼らに愛着があり、M1王者になって欲しかった。
そもそも和牛がそんなに人気があることすら知らなかったし、すまぬがとろサーモンともなれば論外でる。
ただ1回目の霜降り明星のネタが終わった後の審査員である松本人志のコメントを聞いた時に、優勝するのは霜降り明星だろうなと思ってしまった。

せいやは松本人志のすべらない話にも呼ばれるほど、たしかに喋りは面白い。だけどどの世界でも、面白い、上手いだけでは世に出ることは出来ないのだ。才能がありながらも運に見放され、誰からも引き上げてもらえず、世の藻屑として消えてしまう人材などいくらでも存在している。
霜降り明星を引き上げてくれたのは、他ではない松本人志だ。それは彼らの運と努力の結果だろう。

松本人志とは誰しもが認めるお笑い界の天才で、それだけに松本人志の言葉は重い。
審査員とて人間である。いくらジャッジは独自の採点によるものと定義されていても、大御所の何気ない発言が全く反映されないかと言えば、意識、無意識は別としてどこかで必ず反映されてしまう。
それが世の常というものではないか。

考えてみて欲しい。いくら公平なジャッジをそれぞれがしていると表面上は言っていたとしても、自分の評価に反対意見ばかりを述べる審査員がいたら、「コイツ分かってへんでな」とならないか。
そこには見えない影響力が働き、松本人志という人はそれだけの力を持っているということなのだ。

上沼恵美子さんにしてもそう。彼女を気にいらなければ、一層のこと彼女が審査員を務めるM1に出なければ良いではないか。もしくは、その席に座るだけの権威を持てば良い。権威を持つには、やりたくないこともしなければならないし、たとえ気にいらない人間であったとしても場合によっては気に入ってもらう為に、擦り寄ることもしなければならない。それは卑怯でも卑屈でもなく、世に出る為の一つの手段なのだ。
言いたいこと、やりたいことを言ってやって、一つの世界で登りつめれるほど、世の中とは甘く出来ていない。

テストの試験ではないのだ。文芸とはそもそも答えなどない。全ての人が同じ価値観で生きていない以上、一つの芸を観て、面白いという人もいれば、容姿を理由に毛嫌いする人だっている。それが文芸の世界であり、究極の答えなのだ。

確かに一方が輝けば一方は傷つき打ちのめされることになるのだが、それは勝負である限り仕方ないだろう。そこには不満もあれば文句だってあって当たり前だ。
「もう辞めじゃ!」と思うこともあるはずである。それで後悔しなければ辞めれば良い。後悔すると思えば簡単である。また立ち上がるしかないではないか。

文句も審査員批判も一生懸命やっている以上、それが出るのは仕方ない。ただそれをインスタライブであげるのは、TVに出てる側の、人気芸人と言われる側の人間がやることではないと私は言いたい。
ましてやとろサーモン久保田は去年M1の覇者となっている身だろう。何故、文句があるなら、優勝する前に言ってやらぬ。自分はちゃっかり優勝するだけしておいて、安全な場所に到達してからもっともらしく和牛の為という立ち位置で、酒に酔って批判するなど卑怯でしかなくないか。
和牛の水田にしても悔しいのは分かる。分かるのだが、よく同席できているよなとしか私には思えなかった。私が彼の立場なら迷惑でしかない。勝手にやってくれている分には構わないが、あんなことを同じ席でやられてはたまったものじゃない。
しかもいけしゃあしゃあと来年もM1に出場すると言っている水田の神経。
M1どころか、もうTVには出ずにインスタライブでもやってろと感じさせられたし、霜降り明星にだって立場があるのだ。嫌な気持ちになると考えれなかったのか。

その昔、TVに出ている側の人間は特別な存在であった。それがSNSの普及で、出ている側との距離がグッと縮まった。それは観てる側からすれば嬉しいことである。
しかしTVに出ている側はどこまでいっても特別な存在であり続ける必要があるのではないだろうか。そこには有名人としての矜持や責任、そして夢があるのだから。

店を批判しているのではないが、なんだあの鉄板焼き屋。御用達かなんかしらないが、ついさっきまでTVに出ていた人気芸人があんな安そうな鉄板焼き屋で酒を呑みグダを巻いて、それをを公開してること自体、恥ずかしくないのだろうか。
特別な存在どころか、あれじゃ夢ぶち壊しではないか。
何もいつも高級料理店に行かなくてはならない、と言っているのではない。ただ最低限、有名人として、TVに出てる側として、それらしく演じなくてはならないのも仕事ではないのか。

影で文句など当たり前である。現状の全てに納得いってる人間なんてそもそもいない。
ただTVの世界でメシを食べてる人々には、観ている人に夢を与え続けている特別な存在であるという自覚が常に必要ではないか。

さて庶民の私は、玉ねぎ抜きで汁だくの牛丼の写メでも撮り、インスタグラムへとアップしてやるとするか。