■第2章 追憶 第15話
拝復
お手紙、大変有り難く拝見させて頂きました。
と、申しましても、私は拝見させて頂いておりません。
突然、このような内容の手紙を宛てさせて頂きますことに驚かれているでしょうが、どうかお赦し下さい。
どうしても伊丹様に御礼をお伝えさせて頂きたく、失礼を顧みず筆を執った次第であります。
初めまして、伊丹様。
私は、みどの父で御座います。
私達夫婦にとって、みどは遅い子で、1人娘だったせいもあって甘えたい放題、甘やかして参りましたので、伊丹様の御著作に登場しておりました「どど」そのままのお転婆ぶりで御座いました。
手を焼いたこともあります。
思春期には、まるで腫れ物にでも触るのように気を遣い、妻と2人、育て方を間違ってしまったのかと話し合ったことさえありました。
それでも、親の贔屓目ではありますが、人の道に逸れたりすることなく、正義感だけは人一倍強い子に育ってくれ、私達夫婦にとっては申し分のない娘だったのです。
その娘が、いつしか白血病に侵され、まさか親よりも早く逝こうとは夢々思っておりませんでした。
数年にも及ぶ闘病生活で、いつの間にか娘からは笑顔は消え失せ、弱音ばかりを吐く様になっていったのです。
私は、そんな娘を叱ってしまいました。
「そんな弱気でどうするんだ!病気なんかに負けてどうするんだ!」
涙を零しながら私は娘を叱りつけました。
娘には花嫁衣装を着させてやることも叶わず、こんなにも娘が苦しんでいるというのに見守ることしかできない自分自身の無力さを何度も嘆きました。
代われるものなら代わってやりたいと何度思ったことか。
娘が一体、何をしたんだ、と神様さえ恨みました。
もう昔の、眩しすぎるほどの、明るくて勝ち気な娘の姿を見ることは出来ないのだろうか、と私も妻も諦めておりました。
それが、伊丹様の御著作を読んでからというもの、まるであの頃の勝ち気で自分の言うことが何よりも正しいとでも言いたげな娘が帰ってきたように元気を取り戻していったのです。
気を悪くしないで聞いてやって下さい。
─誰がどどやねんっ! へんなあだ名勝手につけて、世の中にまで公表して! 一体、あのバカは何考えてんのよっ!─
独りで、ぶつぶつ言っては、何度も何度も御著作を読み返しておったのです。
へそ曲がりですから、素直に嬉しいとは言えないのです。
ですが、それが本当の娘の姿であり、最期の最期になってその娘にもう一度逢えたことで、どれだけ私も妻も救われたことか。
伊丹様に、一言御礼を申さずにはおれませんでした。
臨終の朦朧とした意識の中で、妻が、
「みどちゃん、分る? 伊丹君から手紙が届いたのよ!みどちゃん、分る?」と問いかけると、娘ははっきりとうなずき、私の手を力強く握り返してきたのです。
それが、娘が31年間、一生懸命駆け抜けてきた最期でした。
お恥ずかしい話、私も妻も学歴が無く、あまり本に触れる機会を持ちませんでしたが、これほどまでに言葉というのは凄い力を持つのだということを、この歳になって教えられました。
伊丹様、有難う存じました。
伊丹様のお陰で、柔らかな冬の日。娘は安らかに天に召されることができました。
ただ、この気持ちだけをお伝えさせて頂きたく、長々と綴ってしまったことをお赦し下さい。
厳しい寒さが続きますが、どうぞ御身大切に御自愛下さいませ。
伊丹様の心穏やかな平穏を祈っております。
─敬具─
オレは嗚咽を漏らしながら、声を殺して泣きじゃくった。
「オレ、、、オレなんか、、、オレなんか何もしてへん、、、何も、、、何もしてへんやんケッ、、、。
なっ、、、なんでやねんっ、、、なんでやねんっ、、、なんで死なな、、、死なないかんねんっ、、、」
オレは歯を食いしばりながら、嗚咽を漏らし続けた。
もしも小説を書いていなければ、残り少なくなったオレの人生に、こんな哀しい想いを増やさずにすんだかもしれない。
もしも小説を書いていなければ、みどはいつまでたってもあの頃のみどのままで、オレの記憶の中で生き続けていただろう。
みどのことを思い出して、懐かしくなることはあっても、哀しくなることはなかったと思う。生きていれば、知らないで済むことは、知らないほうがいいということがある。
人の心だって全て分かってしまったら、生きていくことすら辛くなってしまうかもしれない。
これから死に逝くオレにとって、哀しい思い出はこれ以上増やしたくなかった。
報せてくれたみどのお父さんには感謝しているけれど、許されるなら、死んで向こうに逝ってからみどに逢いたかった。
幸せだったのだろうか。
最後に別れてから、ずいぶんと月日が流れたけれど、みどは幸せだったのだろうか。
涙は、枯れることなく流れ続けた。
─みど、もう楽になれたか? もうしんどくないか? 痛くないか?
オレもじきにそっちに逝く、なんてゆうたら、
「きやんでいいっ!」
って怒られそうやけど、またそっちでオレのこと、あの頃みたいにどやしつけてくれな。
エエことあったんか?
いっぱい恋したんか?
痛かった分、辛かった分、いっぱいいっぱいええ思い出持っていけたんか?
みどがこんなことになってたゆうのに、オレ、アホやから、何もしてやれんでごめんやで。ホンマごめんやで。
「ちょっと情けないっ!男のくせになんで泣くんよっ!もう泣くなっ!」
口を尖らせてオレを叱る、みどの懐かしい声が胸の中で響いていた─
●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)