その名はカン太
どんな社会不適合者でも、ミッションを無理やり与えることで、一人前の犯罪者に育て上げてしまう「文政再生工場」。
そんな社会に損失を与え続けている文政再生工場で、ただ一人再生しきれなかった男。その名はカン太。あらゆる荒事には滅法向かず、車上荒らしのスペシャリスト、まっちゃんの見張りも務まらず、依然として消息を絶ったままであった。
いや、絶ってくれたはずであったのだが......。
ある日の夕刻であった。食卓に並べられたナポリタンを頬張っていると、けたたましい唸りを上げて、携帯電話が鳴り響いた。
動物的直感というのだろうか。瞬時に喜ばしい報せではないと、なぜだか分かった。
嫌な予感を覚えながら、携帯電話の画面に眼を落とすと、ホワイトブッチャーの文字が踊っている。
我が部下とはいえ、基本的にブッチャーからの電話は、5回に1度くらいの割合でしか出ないと決めていた。なぜか。ろくなことがないからである。
胸騒ぎは頂点に達していたのだが、私の拒否反応とは裏腹に、指が勝手に通話ボタンをタップしてしまっていた。まるで呪いにかけられたような、何か見えない力が働いたと言わざる得ない。
「兄貴でっか! 兄貴ですわな! 今どこいてまんねん!」
嫌な予感が的中していることを瞬時に察した私は、頬張っていた口の中のナポリタンを水で流し込み、藪から棒なブッチャーの質問に答えた。
「出張で東北に来てる」
はっきりとブッチャーが舌打ちを打ったのが、受話器の向こうから聞こえてきた。
「チィ......東北いてまんのか? ま、よろしいわ。実は今、横にカン太がいてまんねん!」
カン太???カン太......。 カン太あぁぁぁーっっっっ!!!
脳裏におぞましい記憶が蘇る。文政再生工場に、唯一の汚点を刻み込んだ男。呪いのカン太。そう言えば、そもそもの元凶はブッチャーであった。こやつが、ヤクザをやりたいと言っていると、カン太を連れて来たのが、そもそもの始まりであった。
私は思わず、通話終了ボタンを叩こうとした。
「兄貴! 切ったらあきまへんで!」
それを察知したように、ブッチャーのダミ声が私の鼓膜を震わせた。
「兄貴、あんね、今日、カンタが名古屋刑務所から出所してきたらしいねんけどね。その足でワシのところ来よりましてね、とにかく代わりますよって」
まくし立てるように早口でブッチャーは告げると、悪夢が再び幕を開けた。
「親父......親父...長い間の......長い間の親不孝をお赦しください......」
カン太だった。カン太はなぜか泣いていた。確実にバージョンアップされているではないか。
「これからは......これからは親父の為──」
金縛りにあっていた人差し指が、通話終了ボタンを叩いた。返す刀で電源を落とす。
カンタは文政再生工場から、自ら消えたのではなかったのだ。
私も文政も、忽然と姿を消してくれたもんだと安堵していたのだが、今の会話を聞いていると、カン太はなんらかの理由で逮捕され、刑務所へと送られていたのだ。
で、今日出所してきた、と。
そして、その足でブッチャーを訪ねていったのだ。ブッチャーの慌てふためきようが理解できた。
前回の対戦で、完膚なきまでに倒されてしまった霊媒師の先生(文政)は、現在社会不在を余儀なくされてしまっている。
しかし、もしもかりに社会で自由を謳歌していたとしても、カン太とのリベンジは望まぬだろう。
私の電話ですら、「カン太が──」と一言いえば、着信拒否するはずである。カン太には、そこまでの破壊力があった。
私は、カン太の見掛け倒しの鋭い目つきを思い出しながら、当分はブッチャーと関わらないことを堅く誓ったのであった。
すっかり、皿の上のナポリタンは冷め果てていた。もしかして、これもカンタの呪いであろうか......。
●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)