■ 『死に体』序章 第4話
だからといって、死にたいか、というとまったく死にたくはない。むしろ一日でも永く生きていたい。人生の付録でもかまいやしない。生き延びていたい。たとえもう二度と、生きて社会の土を踏むことが叶わなくても、生きていたかった。
生きることが苦しくて、いっそのことスパッとやっちゃって!と思うことはしばしばだけど、「そんなら、その期待に応えてやろうか」と迫られれば非常に困る。
いつ死神にからめとられてもおかしくない、日常のいたるところに「死」と「絶望」がぶらさがっている地獄のような毎日でも、生きていたいと切実に思う。生きていたいと心から願う。
はっきり言って、ここはこの世の地獄だ。無間地獄だ。金曜日の朝を迎えるたびに担当の足音に顔を引きつらせ、気が狂うのではないかとそのつど思う。
いや、もしかしたら、もうすでに半分狂っているのかもしれない。
オノレ自身が正常か異常かさえも判断できない暮し。神経はすり減り、明日への希望なんてどこを探してもまったく見当たらない。
それでも、だ。それでも生きていたいと思うのだ。
もういいよ、なんて言葉、とてもじゃないが言えなかった。
生きる希望は確かにもうないけれど、ささやかな楽しみや小さな喜びすらまったくないというわけではない。
胸に響く小説と出逢えば社会の人と同じように感動するし、毎週楽しみにしているラジオ番組だってある。鬼ガワラのコンチクショウは論外としても、浅田のおっさんや宮崎、そして横山のやっさんなんかと会話できる拘置所内の運動時間だって欠かせやしない。寒い日、湯船に身を沈めて人心地つけば、「つぅーっ、極楽~極楽~っ」と近い将来逝くかもしれない地名が口からこぼれ出たりする。
なによりもだ。こんな落ちぶれ果てて、世間から悪鬼のごとく憎まれ、親にさえ見捨てられ、ヤクザ組織からも追放されたというのに(我ながらボロカスだな......)、毎月2回の面会にはお供のゆきちを連れて逢いに来てくれる彼女だっている。2日と空けず手紙だって届けてくれる。そんな彼女とゆきちの存在がどれだけオレに生きる喜びを与えてくれているか。
まれにある。まれに聞く。
死刑囚の生い立ちや家庭環境に憐憫の情を抱き、その流れから獄中結婚してしまうような、ある意味、本当にすまんが独りよがりの思い違いの愛とは、オレの場合わけが違う。
なにもそれが悪いと言っているのではない。上下をつけているわけでもない。人それぞれ思想や価値感が違うのはもっともな話だし、死刑囚の人道にももとる残虐な所業を、大いなる愛と大いなる勘違いで善意に解釈し、「力になってあげたい」と思う気持ちは、オレが今、死刑囚という立場だけになおさら素晴らしいと思う。
その勘違いで。失礼、その人のおかげで、どれだけの死刑囚が救われてきたことか。
チクリチクリと厭味を言っているのではない。素直にオレは褒めとるのだ。性格が若干、歪んでいるだけなので、気にしないで欲しい。
でもオレの場合は違う。死刑囚となって、殺されるためだけに生きる運命となって久しいが、今では異国の地となってしまったシャバに生息していた頃から「ゆま」はオレの彼女だった。
だがオレが「生前」、ゆまのことを大事にしたとか、ゆまやゆきちを助ける為、やむを得ず犯罪を犯してしまったとか、その結果、今このように死刑囚になってしまったとか、そんなドラマチックな美談などあろうはずがない。
はっきり言って、この両の手にワッパをはめられるその瞬間まで、オレは彼女を傷つけた。苦しめた。泣かし続けた。
もうやってしまったことは戻せないとしても、せめてこの頃に戻って彼女だけは大切にしてやりたかった。それほどオレは、彼女を不幸にした。
そんな男なのに、彼女は
「ゆまにも、こうなってしまった責任があるから......」と言って、いまだにオレを見捨てようとはしない。
「なんで、なんでこんなオレなんかに優しくしてくれんねん......」
死刑が確定するまでの半年間。彼女は毎日のように面会へと来てくれていた。
刑が確定した今とは違い、未決の身分の間は土日祝日をのぞく平日にかぎり、毎日誰とでも面会することができた。すでに生きていること自体が申しわけなくなってしまったオレでさえ、接見禁止が明けた後は、その例外にもれることなくそれが叶った。そんなオレに彼女、ゆまは毎日面会へと来てくれていたのだ。
もういいよ。本当にもういいよ。
その想いを言葉にしてしまえば、本当にもう良くなってしまいそうで、怖がりで臆病なオレには口にすることができなかったけれど、もういいよって思う気持ちも嘘ではなかった。
決してゆまは口にもしないし素振りにも見せなかったけれど、こうやって死刑囚に面会へと来たり差し入れしたり手紙を書いたりすることが、どれだけ彼女の生活を苦しめ、肩身を狭くさせているか、考えずとも分かっていた。
罪を犯せば、本人だけでなく、近い周囲の者までがその被害にさらされることになる。犯した罪が大きければ大きいだけ、その波紋が社会に残っている者たちへと直撃し、これまでの生活を一転させ惨憺(さんたん)たるものへと変貌させてしまうのだ。
親というだけで、ただ妻というだけで、ただ兄弟というだけで、ただ子供だというだけで、一切の平穏は剥奪され、関係のない私生活まで執拗に晒される。
世間を震撼させる大事件を犯した犯罪者の身内の者は、それから逃がれるように人知れず消息を絶ってしまい、面会どころか、かかわりあいになるのさえ拒むのが普通だ。凶悪な犯罪者となり果てた身内の安否を気遣うどころか、被害者の遺族同様に恨んでいることさえまれではない。
オレだって立場が逆なら恨みもするし、憎みもすると思う。仮にオレに弟なんかがいたとして、その弟が死刑に値する罪をもしも犯してしまったとしたら、オレは決して見捨てることなく支え続けていけるとはとてもじゃないけど言い切れない。
毎日毎日、来る日も来る日も満員電車に揺られ、いくばくかの給料のために言いたいこともやりたいこともできず、胃に穴を開けながら、それでも必死に踏ん張ってやっと手に入れることができたささやかな幸せを。小さいながらのマイホームを。愛してると言ってくれる妻を。その妻との間にできたカスガイ(子供)を。なんの落ち度もないというのに「犯罪者の兄」というだけで奪われてしまったら、オレは多分、弟が死んでも許すことができないだろう。死刑執行の一報にも、涙を流すことさえないと思う。むしろ、早く死んでくれたほうがせいせいするかもしれない。
客観的に見た場合、それが普通の感情だと思う。赤裸々に言えば、それが当たり前だと思う。それだけのことをしてしまったからこそ死刑台へと上げられるわけで、自業自得以外の何者でもない。
今のオレが誰かになにかをお願いしたり、望んだりする権利など、もうどこにも残っていないのだ。
なのに彼女は、数々のものを犠牲にしてまで面会へと来てくれた。
もういいよ。もうオレのことなんて忘れて自由になってくれよ。幸せになってくれよ。自分勝手なオレは、その言葉が恐くて口に出せなかった。
本当にそうなってしまったら、惨めをひたすら引きずって、
「一度でいいから、最後に面会に来て欲しい」
「死ぬ前にどうしても言わなきゃいけない言葉がある」
とかなんとか書いた内容の手紙を送りつけ、彼女を苦しめ続けてしまうと思う。
そして、いつの日か宛先人不明で舞い戻ってきた手紙の束を受け取って、途方にくれてしまうのだろう。自己中心的なオレは、悪態だってつくかもしれない。自分が撒いて耕してしまったタネだとはいえ、彼女との別れは本当に辛いだろう。
だけど、これでいいんだとオレは思うと思う。
そう自分に言い聞かせようとすると思う。
人より未練がましい醜態を晒すだろうけど、心の中では、これでいいんだ、と最後は思うと思う。
それなのに、もういいよって言葉のかわりに口から出たのは「なんで、こんなオレなんかに優しくしてくれんねん」という言葉だった。
その後に続く、もういいよって言葉は、口にできず、いつまでも呑み込んでしまったままだった。
「杏(あん)ちゃん、アホやろっ。好きやからに決まってるやんかっ。こんなんなっても......こんなんなっても、杏ちゃんの事、好きやからにっ......」
ゆまの大きな二重まぶたの瞳は、アクリル版の向こうで、零れ落ちそうな涙で溢れかえっていた。
「なんべんも忘れようとした。いっぱいいっぱい傷ついた。みんなにもいっぱいいっぱい怒られた。それでもゆまは、、、ゆまは杏ちゃんの事、忘れられへんかった、、、。まだ思い出にできへんかった、、、。もう、杏ちゃんに何もしてあげる事ができへん。 朝やからって、寝ぼすけな杏ちゃんを起こしてあげる事も、杏ちゃんの好きなカラアゲを揚げてあげる事も、ゆまにはもう何もしてあげられへん。でも、こうして杏ちゃんが生きてる間は、何もできへんくても、ゆまは杏ちゃんの事、愛そうて、、、愛し抜こうってー」
その後は、涙で言葉にならなかった。
泣いているのは彼女だけではない。オレもありったけの涙を流していた。
こんなにも、オレの事を想ってくれていた女性がいつも隣りにいてくれたというのに、オレはその愛を信じる事ができず、一人で敷いた破滅のレールの上を突き進んでしまったのだ。
もうその時点で、オレは救われないかもしれない。
生きてる価値がないかもしれない。
●沖田臥竜(おきた・がりょう) 元山口組二次団体最高幹部。所属していた組織の組長の引退に合わせて、ヤクザ社会から足を洗う。以来、物書きとして活動を始め、著書に『生野が生んだスーパースター 文政』『2年目の再分裂 「任俠団体山口組」の野望』(共にサイゾー)。最新刊は『尼崎の一番星たち』(同)