歌舞伎町五人衆の真実
──ネットで勝手に作られた歌舞伎町五人衆という存在は?
「勝手になってるんですよね。俺は俺だから。俺はボスだから、グループもなにもないんですよね」
──勝手に相関図みたいのを作られていますよね、事情を知っている人間からすればおかしい、と思える部分が沢山あって。
「俺も調べたんですよ、まわりから「歌舞伎町五人衆と阿弥陀如来みたいな書き方でネットで拡散されてますよ」って後輩から(笑)
そうしたら知り合いも確かに入ってましたけど、あれは要するに歌舞伎町で遊んでいる闇金、つまりキャバクラで派手に金をばらまいている人間ですよね(笑)」
──普通のサラリーマンがキャバクラ行った所で女は落とす事はまず不可能ですよね、その場だけは相手にしてくれるが、見向きもされない、そんなやっかみから始まったんだろうな、と思ってはいますけど。
「でも、店では安く飲んでますよ。1万だけ、とか」
──だけど綺麗な遊び方が出来るじゃないですか、余裕があると。だけど時代によっては輩が店の隅にグループで固まっててアイスペールでシャンパン飲ませたりしてましたよね?
「だって、関係ないですもんね。どうですか、店のオーナーとして、俺らみたいなのがきて、「おお久しぶり、社長元気」なんてやって。「勉強もう一回やりなおしてこいよ」って」
──店からしたら金を落としてくれて、女にも小遣いくれてやって、いいお客さんですよね、サラリーマンの夢をぶっ壊しちゃうけど。
「でも、当時は小僧でも平気で100とか200稼げた時代だから、そんなんやってる奴ばかりですよ。それでそのお金に群がってくるメスもいるし。それを操る奴らもいるしというだけの話で」
──サラリーマンがモテたければ、オラオラ系の格好をして金を持ってるような振りをして。偽物でもいいからブランドもの持って。カードローンで金借りてでも(笑)
「だけどめくれちゃったら。新宿の駅前のむじんくんに行ってとか、もしくは店で正座して「はいはい」って感じになりますけどね(笑)
それでもしそいつにケツ持ちがいたらケツ持ち呼ばれて「お金払わないんですけど」ってなって「どうなってんだこの野郎」って、ていう世界ですよね」
──だいたい、遊びなれてない人間ってわかるじゃないですか、飲みに行ってわかるじゃないですか、飲みに行ってーフルーツが置いてあるところは、遊びなれて金持ってる人間か、カモられてる人間。それか輩だから、しょうがなくサービスしてる、という(笑)そんな感じの見わけ方ですよね?
「そうですよね(笑)。まったくそのとおりです。客を見ればわかるじゃないですか「これ使われてるな」って。「誰々場内呼んでいい」なんて言って」
──馬鹿じゃねえの、この客と思われながら(笑)
「吸い込まれて行く。でもほんとっすよ。だってそうじゃないですか。
「フルーツくらい場面で出せよ」って。喧嘩なんかしたくないし、2~3千円の話だから。客がだまるなら、そりゃ出すでしょ。でも本来なら、1万とか2万とか3万とか積んでいくわけだから。
だけどシャンパンタワーをしたからといって儲かるわけでもないし」
ヤクザがなんで遊び人か、と言ったら女の子を遊ばせるから遊び人なのであり。自分が遊んでいるのではない、うまく遊ばせるからモテるのであり、女の子が来ると、気を使わずにワーッと遊ばせてくれる。だからモテる。遊ぶ金の使い方もきれいだし。暴れない。女の子のケツ触ったりしないし。見栄があるから。触りたくても触らない。
その様な大人の遊び方ができるのがヤクザである。
このような感じで話は尽きることはなかったが、この話はここで締めくくることにする。
さて冒頭に書いた皆様にお知らせであるが、本連載は元々主役である阿弥陀如来こと藤井学を表に出そうとして仲間と始めた連載である。
楽しくやれればいいね、と思い始めた連載であったが、もう表に出た藤井学に阿弥陀如来はいらない、藤井学一本でやり通せるところまでやっと辿り着くことができた。
この目的が達成出来たので本連載は最終回としたい。
だが、読者の皆様に約束する、新しく生まれ変わった藤井学はまだまだ走り続けるだろう。
走り続けていた男は止まる事を知らないのだ。
この言葉を連載の最後にしたい。
長い事付き合ってもらった読者の皆様には本当に感謝をしたい、ありがとうございました。
