溝畑容疑者はなぜ同級生に銃口を向けたのか
覚せい剤取締法違反(使用)という1年ほどの懲役が、無期か死刑になってしまった溝畑容疑者。現在、実弾入りの拳銃を所持して、逃走中だという。
重大事件を起こし、拳銃を懐に忍ばせ逃走している人間の心理は、破れかぶれというよりも、前途への悲観のほうが強いのではないだろうか。
「もうあかん、見つかる前に死んでまおう......」という心理状態に到陥りやすい危うさがあるのではないか。
実質的、会社の経営者だった溝畑容疑者。わざわざ同級生をヘッドハンティングしてきて、会社の番頭格に座らせたのだという。それなりの信頼関係のある関係であったことがうかがえる。
だったらなぜ、溝畑容疑者は、そんな信頼している同級生や、従業員の方々へ発砲するまでに至ったのか。
それは、近々に迫っていた収監も大きく関係しているのではないか。
その日、溝畑容疑者は、覚醒剤事案で保釈中であった審理が確定し、拘置所へ収監される予定だったらしい。
その前に、今後1年数ヶ月の溝畑容疑者の受刑生活中の給与面などを話し合っていたのではないか、と言われている。
溝畑容疑者としては、同級生を番頭格に座らせたのは自分であり、実質的経営者という自負もあって、受刑生活中の給与の保証を求めても当然、という思いがあったと思われる。
逆に、現場を回し、会社を運営してきた同級生の人からすれば、あくまで番頭格に座らせたのは溝畑かもしれないが、自分としても会社を存続させていかなければならないわけで、そこのところをどれだけ溝畑容疑者に訴えたところで理解を得られなかったために、従業員の主だった人たちも話し合いの席に集めたのではないかと推測される。
溝畑容疑者の自己中心的な思考で、飼い犬に噛まれたように受け取ったかもしれないが、覚せい剤を使用し、これから刑務所暮らしの身分なのである。これだけでも経営者として大失格だ。実質的な経営者とはいえ、そんな横暴は通るわけがない。
それにしても、そうした話し合いの席上になぜ、溝畑容疑者は、拳銃を所持していたかであるが、そもそもそんな重大な話し合いを収監当日に行なっている自体、尋常ではない。
裏返せば、待ち構える1年数ヶ月ほどの受刑生活がそれだけ嫌で嫌で仕方なかったのではないか。
保釈されていたことで、里心がつき、その思いに拍車がかかり、取り返しのつかないレールを己で敷いて、走り抜けてしまった可能性もあると思う。
どちらにしろ、溝畑容疑者は、まるっぽのカタギというわけではないだろう。まるっぽのカタギならば、当たり前だが、拳銃など所持していないし、弾き方など分からない。ましてや覚せい剤で懲役などには行きはしない。
必要以上に自暴自棄になり、これまで経営していた会社で身を粉にして働いていた方々に銃口を向けてしまった溝畑容疑者に、前途も未来もない。
「覚せい剤事案の短い懲役を無期か死刑に跳ねあがらせた溝畑容疑者の素顔」(初出 2016.08.30)