このまま死人に口なし、になってしまうのか!?
生きて逮捕しなければならない、その願いは虚しく、溝畑容疑者は自らの腹を撃ち、死亡してしまいました。
もって生まれた溝畑容疑者の気質なのか、それとも覚せい剤という麻薬により正気を狂気に変えてしまったのか、溝畑容疑者の死によって真相は永久に闇の中になりました。
関係者から聞いた話では、発砲現場となった和大興業は、溝畑容疑者の父親が実質的な経営者だったようです。しかし、会社の名義は溝畑容疑者の母親になっています。
これはひとえに、元暴力団の関係者だったという父親の存在をカムフラージュしていたのではないかと思います。
この手のカムフラージュは、暴力団員の経営する会社などでは、当たり前のように使われてきた手法だと聞きます。そうしないと、なにかと不利益を生むからです。
溝畑容疑者の実兄ですが、現在は分かりませんが、地元でも有名な覚せい剤の密売人だと耳にしました。
そういった意味でも、溝畑一家というのは、警察当局に知られた関係だったのではないでしょうか。
だからこそ、警察当局はメンツにかけ、生きたままで溝畑容疑者を逮捕し、射殺事件を突破口に奥深くまで、斬り込んでいきたかったのではないでしょうか。
とくに警察が全貌を解明したかったと言われているのが、拳銃の入手先のようです。
それを危惧してかどうか分かりませんが、溝畑容疑者が立てこももった現場付近には、短パンでサポーター姿の現役暴力団員の姿があったと聞きます。
無言の圧力なのか、それとも溝畑容疑者の身を案じてか分かりませんが、そういった人間が駆けつけている事態、溝畑容疑者自身も普通のカタギではないのではないでしょうか。
これからどこまで核心に迫れるか分かりませんが、溝畑容疑者が死んでしまった以上、全面的な捜査の進展はないでしょう。
拳銃や覚せい剤を溝畑容疑者に売りさばいた人からすれば、ホッと安堵を覚えた展開ではないでしょうか。
一方、報われないのは、射殺された方の遺族の方々や被害者の方々です。犯人が死んだからと言って、事件はなにも解決しませんからね。
溝畑容疑者は、生きて法の裁きを受けるべきでした。
あらためて被害者の方のご冥福をお祈りいたします。
「溝畑容疑者が死んでホッとする人、やりきれない人」(初出 2016.09.01)