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【炎上】「葬式アート」でパクリOB佐野氏を風刺する多摩美大生の詰めの甘さ

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 変わった意見としては、こういうのがある。

「葬式やったなら、四十九日法要を次にやらなければならないし、一周忌だとか、お盆、お彼岸、そのあたりまでしっかりとやってこそ『日本の葬式アート』になるんじゃないですか? 面倒くさいですよ〜法事の度にお金がかかるし、お彼岸で死者を呼び戻したり、帰したりしなければならない。茄子に棒も差したり。もしですよ、パフォーマンス集団が、こちらが忘れた頃に『佐野研二郎 23回忌』とかしぶとくやっていたら、『もう分かりましたよ』とバカ負けしますけどね」(40代・映像アーティスト)

「葬式出したなら、完遂しないとあかんでしょう」ということだろう。個人的には同意だ。

 さらにテリー伊藤氏の公式コメント、
「遺影が佐野さんの写真じゃなくて、ボツになった五輪用エンブレムだったら問題ない」はその通りだと思った。

 とにかく日本人の禁忌に直結する「葬式仏教のイメージ」と、かつて自殺者も出したいじめの「葬式ごっこ」とごっちゃになり、アート、パフォーマンスの面が薄れてしまったのはパフォーマーの学生ならではの拙さ。だけど遂行しちゃう若さ。それに対する千差万別の反応がなんとも可笑しかった現象である。

 佐野研二郎氏はもちろんノーコメントだが、学生たちに「香典だ、取っときなよ」と100万円くらいポーンと自分の分を払ったら粋だったのに、と残念でならない。

 同時に「俺の死んだクリエーター魂の葬式なら、そんなゲリラじゃなくて、盛大に慎ましくやってくれよ。ちゃんとホール借りてよう!」のコメントつきだったら完璧だっただろう。その場合、佐野研二郎自ら弔辞を読むなどすれば言うことがない。

 しかし現状は、このままだと葬式が宙に浮いている。学生がやった事だと、寛容に水に流したいところだが、49日法要が執り行われたら、それは本気だからそれはそれで見守りたい。


(取材・文/曼荼羅夢)