とある大手暴力団(日本でいちばん有名なあそこですね)からスッパリと足を洗い、現在は被災地復興のため日々汗を流す「喜多方の帝王」こと張 恭市。そんな福島在住の張が被災地の現況から刑務所の実態まで、ヤバすぎるリアルな話を大いに語り尽くします!
それは今から20年くらい昔の話......
「お前は悪の根元か!? お前がいるから、舎房全体の雰囲気が変わるんだ!」
宮城刑務所・分類センター2階のフロア全体に聞こえるほどの怒声を叩きつけられ、担当台横にある倉庫に引きずりこまれた私は、数人の刑務官に囲まれ、罵声を浴びせられながら袋叩きにあっていた。
なぜ、そんなことになったか?
拘置所から宮城刑務所・分類センターに移送され、しばらくは独居房生活を余儀なくされていた私は、間もなくして塀の中の集団生活に慣れさせるために雑居部屋に転房させられていた。
部屋の人間は、下は20歳から上は26歳までの若い懲役ばかりで、すぐに意気投合した私達は、刑務官の目を盗みながらも限られた自由の中で僅かな楽しみを見つけながら分類センターで身辺調査や新入教育を受けていた。
そんなある日のこと。
免業日は朝からラジオ視聴が可能であり、それを小耳に挟みながら読書をしたり、手紙を書いたり、雑談したりと各自休みを満喫していた。
その時、たまたまラジオから競馬中継が流れた。
「皆さん! 暇なんで、このラジオ聞きながら競馬でも賭けてやりません?」
突然そんなことを、窃盗の常習犯で逮捕され、3年半の刑で宮城刑務所・分類センターに移送されてきた同囚の岩崎が言い出してきた。
皆、いいねと騒ぎだし、その日のお昼のメインディッシュとなるおかずを賭けて勝負することとなり、岩崎は自分の便箋に各自予想する馬の番号を書き、勝負の発表を待った。
その時、私はその競馬にはのらなかった。女に送る手紙を書いていたので、その発信日が翌日に迫っていたので、そんなことをしている暇などなかったのだ。
刑務所の中では、月に何回と手紙の発信回数が制限されている。また発信できる日も決められており、好きな時に好きなだけ手紙を書けるわけではなく、決められた日までに書き上げなければならなかったのだ。
数分してレースが始まり、その結果が発表された。
「うわぁ! やられたよ!」
そう言いながら、岩崎はみんなの名前と予想した馬の番号を書いていた便箋を丸めてゴミ箱に捨てた。
その捨てた便箋が、最悪な結果をもたらすことになるとは、その時は誰も予想していなかった。