屍体の墓の上で暮らす最貧民スラム「ナヴォタス」
飛ぶ鳥を落とす勢いの経済成長を遂げるフィリピンの首都マニラ。
しかしその発展の影に取り残された北部には貧困地区が点在している。貧困層は全国民の二割といわれ、首都マニラに限っていえば人口一千万人の半数がスラム街に居住している。
かつてスラム街の代表として世界的に有名だったトンド地区の「スモーキー・マウンテン」は一九九五年に閉鎖され、スカベンジャー(ゴミあさり)で生計を立てていた住民の強制退去が執行された。しかしそれで貧者の数が減るわけはなく、当時のフィデル・ラモス大統領はフィリピンのイメージを害する恥部の象徴であったかの地名を地図上から抹消したが、それで社会矛盾の根本的解決になるはずがなかった。
三万人に上る住民が路頭に迷い、その多くがケソン市北方ルパンパンガコ地区の「スモーキー・バレー」と呼ばれるパヤタス・ダンプサイトなど新たなゴミ集積場に移り住むなど、マニラ北方各地に拡散していった。
旧スモーキー・マウンテンからほど近い、すぐ北方の沿岸地域・ナヴォタス市にも大量の移住者がなだれ込み、大規模なスラム街が形成されている。
そんなスラムの中でも最もユニークな存在が、「ナヴォタス市営墓地」とその周辺を貧民が占拠して形成されたスラム街である。