>  > 話題の本を読む 加茂田重政著『烈侠 山口組 史上最大の抗争と激動の半生』
ヘイトスピーチハンター山口祐二郎のひとりごと

話題の本を読む 加茂田重政著『烈侠 山口組 史上最大の抗争と激動の半生』

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 世間に衝撃を与えた昨年8月の山口組分裂から約1年。現在もなお、司忍組長率いる六代目山口組、井上邦雄組長率いる神戸山口組の双方どちらも退かぬ抗争が続いていて、すでに数多くの事件が起こり逮捕者が続出。死者までも残念ながら出てしまった。捜査関係者の情報では、和解交渉も決裂していたと言われている。

 そんな中で、ある1冊の本が出版された。タイトルは『烈侠 山口組 史上最大の抗争と激動の半生』。著者は、三代目山口組若頭補佐で加茂田組組長であった加茂田重政氏だ。山口組四代目争いで、竹中組組長の竹中正久氏が就任したことに、三代目山口組組長代行の山本広氏と加茂田重政氏は猛反発。山口組を離脱して一和会を結成。山口組と一和会により1984年から1989年にかけて起こった山一抗争は、膨大な逮捕者、負傷者、死者を出したことで知られている。その山一抗争の重要人物であり、一和会副会長兼理事長であった加茂田重政氏。加茂田組といえば、山口組の数々の抗争において武闘派として活躍し、加茂田軍団と異名を持った組織だ。

 山一抗争によって加茂田組を解散し、加茂田重政氏は渡世から身を引き、静かにひっそりと暮らしていた。が、このたび、長い沈黙が破られ本が出版されたのだ。僭越ながら書評をさせて頂きたい。(文=山口祐二郎)


昭和の三代目山口組と平成の六代目山口組


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山口組 田岡三代目とともに


 第一章では、加茂田重政氏がヤクザになった経緯が記されている。父親が二代目山口組の若衆であった加茂田重政氏は1930年生まれの86歳。今は戦後71年だ。戦争を体験している世代なのである。そう、加茂田重政氏は若き頃、海軍に徴兵され従軍経験もあるのだと書かれている。

 後に日本は戦争に敗れ終戦。未曾有の大戦争で焦土となった日本。戦後の混乱により、人々は闇市に食料や生活必需品を求める。闇市では秩序が乱れ、暴力が日常茶飯事の状態だ。今では考えられないことだが、秩序を守るために人々はヤクザを頼った。警察もヤクザを信頼し、頼った事実が紛れもなくある。そのような時代状況の中で加茂田重政氏は、愚連隊として治安を守るための用心棒家業に専念した後に山口組に入ったのだという。

 加茂田重政氏は著書の中で、三代目山口組の田岡一雄組長のあるエピソードを語る。加茂田重政氏が刑務所に収監中、加茂田重政氏の奥さんと当時3、4歳の娘さんが田岡一雄組長に会いに行った際に、娘さんに対し自ら謝罪をしたのだという。親と会えない子供の気持ちや、子分の子供を大切に考える優しさが、多くの子分から尊敬され伝説の組長と語り継がれる一因でもあろう。

 昔も今も、社会からドロップアウトした人間がヤクザになるのが大半だ。時代の流れと共に国は、ヤクザを利用していたのにも関わらず、急に切り捨てるようになっていった。近年のヤクザ業界は、暴対法、暴排条例による、警察の取り締まり強化から大きく体質は変化した。警察に狙われるだけで、ほとんどヤクザでいるメリットはない。厳しく教育で管理されるヤクザ組織ではなく、暴対法の網を掻い潜る自由な半グレ集団にドロップアウトした者は向かうようになっていった。

 器のでかい組長の元で仁侠道を教わり統制が取れていたヤクザ組織と違い、筋もへったくれもない無法者が蔓延するようになってしまったのだ。警察がおこなっているヤクザへの締め付けが犯罪行為をする暴力団を増やし、ヤクザの排除が逆に治安を悪化させているというのが皮肉な現実だろう。