連載第28回 ピカロの甘い罠 前編
これは実在するひとりの男の転落と更生の物語である。

あらすじ
闇金チェーン鈴彰グループで店長となった三井の元に、顧客の大前田が自殺したというしらせが入った。
「アキサミヨ! ヤーらのせいで、ワッタァつじが死んじょぉさ! でーじー、チャーすんばよぉ!」
自殺した大前田接骨院院長・大前田(おおまえだ)貴仁(たかひと)の遺体の前で、妻の明日香は叫んだ。沖縄出身の明日香は、興奮すると沖縄の方言がでるらしい。
「アンタらのせいでワタシの夫が死んだ! 大変なことになった、どうすんだよ!」と、オレたちに責任を押しつけているらしい。
泣きながら明日香は、オレの胸倉をつかんだ。女性らしい色白で、スレンダーなボディーの明日香は、見た目とは違い気性が荒かった。
「母さん、ウチナーグチ(=沖縄の方言)で言っても、ナイチャー(=本土の人間)にはわからんよ」
大前田のムスメの貴仁香(たにか)が、オレと明日香の間に割って入った。
「すいません。ワタシが働けたら、こんなことにはならなかったのに......」
貴仁香は、オレたちに向かって頭を下げた。
大前田のムスメは、花も恥じらう17歳の高校生2年生。
風俗に沈めようものなら、オレたちが職安法(=職業安定法)と児福(=児童福祉法)違反で捕まってしまう。オレと数間は、思わず顔を見合わせた。
その時である。
「わぁぁぁぁ!」
明日香は大前田の遺体にすがりつき、あたり憚らず号泣した。大前田が死ぬことになってしまったのは、彼の長男の貴仁也(たにや)が原因だった。
話は2年前に遡る。
当時、柔道整復師の専門学校『宝見(たからみ)柔整学園』に通っていた貴仁也は、大前田接骨院を継ぐのがイヤだった。
高校卒業後、柔道整復師の資格習得のために3年間も専門学校に通うのがムダに思えて空しかったし、必須科目の柔道の授業も嫌いだった。
彼自身の将来の夢は、板前になって自分の店を持つことだったそんな貴仁也が専門学校の帰り、ふと立ち寄った歌舞伎町で彼の転落への第一歩が始まった。
「安くて楽しい店、紹介しますよ」
キャッチの甘言に乗せられ、貴仁也が入った店はぼったくりだった。
請求された金額は50万円で、親のスネかじりの学生が支払らえる金額ではない。だからといって、親に頼るわけにもいかなかった。
最終的に、貴仁也がその店のキャッチをして稼ぎ、料金の残債を払うということで決着をみた。
当時の歌舞伎町は、キャッチの最盛期だった。1日に何十万円も稼ぐキャッチも少なくはなかった。
キャッチの才能があったのか、貴仁也はわずか2週間で借金を返済し終えたのである。
(世のなかに、こんな簡単に稼げる仕事があるなんて......)
借金が終わっても、貴仁也はキャッチを辞めなかった。
また、親を心配させないため、柔道整復師の学校は卒業しようと思った。そして、学校帰りの空いた時間、歌舞伎町の腕利きキャッチとして暗躍した。
終電車までの6時間ほどの間に、客を5~6本入れるだけで1日に稼ぐカネは10万円近くに上る。
初めはぼったくられてキャッチ業界に飛びこんだ貴仁也だったが、稼げば稼ぐほど、ぼったくり被害者に対しての良心の呵責などなくなっていた。
他人のことより、自身の将来の独立に備えたかった。キャッチを始めて1ヶ月で、貴仁也の貯金は150万円を超えていた。
「どうだい、大前田くん。たまには麻雀でも付き合わないかい」
ある日、貴仁也に客引きのいろはを教えた、先輩キャッチの安達(あだち)満(みつる)が耳元でささやいた。
この安達の誘いが、貴仁也の人生を狂わせる。
悪魔のささやきだった。