8月21日。ブラジルで開催されていたリオ五輪の閉会式がおこなわれた。サッカー男子決勝ではブラジルは金メダル獲得。現地は当然盛り上がっていたようだが、日本に住むブラジル人たちも負けてはいない。東京から電車で約2時間ほどの日本のリトルブラジル、群馬県邑楽郡大泉町では歓喜の声が溢れていたのだった。(文=山口祐二郎)
国内にいたままブラジルの雰囲気が楽しめる町・大泉
南米最大の領土面積を誇るブラジル。日本のほぼ対極に位置していて、人口約2億人。ブラジルに行くとなると、飛行機でも24時間以上かかる。しかし、日本にも東京から電車で2時間程度で行けるブラジルがある。それが群馬県邑楽郡大泉町のブラジルタウンだ。最寄り駅は東武鉄道小泉線の西小泉駅である。
大泉町の人口は約4万人。そのうちの6000人が外国人である。人口の約15%が外国人ということだ。そして、その7割、約4000人がブラジル人だ。つまり、大泉町に住む人の10人に1人がブラジル人ということだ。
西小泉駅を出れば、数多くのブラジル人が歩いているし、ポルトガル語の看板が沢山ある。日本にいながら、ブラジル気分を味わえるのだ。
ブラジルタウンの歴史

最寄り駅は西小泉駅(東武鉄道小泉線) 以下撮影は筆者
なぜ大泉町にはブラジル人が多く、ブラジルタウンがあるのか。簡単に説明したい。大泉町や隣接する太田市には、大手自動車メーカー、大手電気メーカーなど、大企業の大規模工場がある。日本が高度経済成長をする中で、大工場の労働力不足問題が出てきた。そうして日本は外国人労働者の力を必要としたのだ。
そのような状況で、1990年に日本は出入国管理法を改正。ブラジルで暮らす日系ブラジル人のうち3世までと、その家族の受け入れを開始。当然、出稼ぎに来日するブラジル人が増えることになる。労働者獲得という目的のもと、ブラジル人のパワーを活用しながら日本は高度経済成長をしていったのだ。
ブラジル人が増えれば、当たり前だがブラジル料理の店などを開く者も出てくる。こうしてブラジルタウンが形成されていった。これといった観光名所がなかった大泉町。そんな大泉町の発展のために、ブラジルタウンを観光の売りにしたのだ。大泉町ブラジルタウンの歴史を見ると、日本人がブラジル人を利用してきたことがよく分かる。