連載第55回 最終章(三)
【ここまでのあらすじ】死刑囚・藤城杏樹は、残された人生最後の数日間をひとり、☓☓拘置所内の四舎ニ階、通称『シニ棟』で過ごしていた。

もうずいぶんと、ヒカリの名前も、英須の名前も口にしていない。
一緒にいる時は、あれだけ毎日、口にしていた名前だったのに、今はもう口に出して呼ぶことさえなくなってしまった。
それが、別れという奴なのだろうか。
オレは今、誰の名前を一番、口にしているだろう。
少し考えた後、担当を呼ぶ時の「おやっさ~ん」だということに気が付き、苦い笑いが浮かんだが、すぐに消えていった。
ここに堕ちてきてから、色々な人間を見送った。色々なことがあった。
オレの人生なんてくだらない。けど、それでもいろいろなことがあった。
一緒に辛苦を味わった、浅田のおっさんも、宮崎も、鬼ガワラのコンチクショウも、もうこの世にはいない。
横山のやっさんも目の前にはもういないけど、どこかの拘置所で担当の手を煩わしながら生きているのは確かだ。
そして、オレもこうして生きていた。
龍ちゃんもみども、早々とこの世界に別れを告げていったけど、オレはまだ生かされていた。
みんな、あの世で元気にやっているのだろうか。
いなくなってしまった人々の顔を思い出しつつ、オレは筆を走らせた。
空の上から見とったらわかるやろうけど、街はクリスマスに染まってます
どの顔も温かくて、優しくて、それを想像すれば、オレの心まで優しくなれて、クリスマスはやっぱり特別なんだな、と思います
みんな元気にやっていますか
オレもそろそろ、そっちに逝くんじゃないかと感じながら暮らしています
みんなのことが忘れられなくて、こうして書きました
短い手紙です
続きはまた、そっちに逝ってから聞いてください──
その夜、オレは夢を見た。浅田のおっさんの夢だった。
ずっと隣同士で暮らしていたおっさんとは、時折、担当の足跡を警戒しながら、声をひそませて壁越しの会話──通声という反則を犯しあった。
コンコンと壁を叩く音がするので、オレは窓を開けて合図を返した。
「えっ? 浅田さん?」
心の中では、浅田のおっさんなどと、軽々しく呼んではいるが、口にして呼ぶ時は、ちゃんと敬称をつけて呼んだりしていた。
「久しぶりだねえ」
懐かしい穏やかな声は、浅田のおっさんのものだった。
夢の中でオレはひどく動揺していて、浅田のおっさんが使者となり、オレを迎えに来たのかと、ドキドキしていた。
「オレ、もう死ぬん?」
情けなくも、オロい声だった。
「藤城さんだけじゃないよ。ここにいる連中も、下界で暮らしている娑婆の人たちも、今日、生を受けてこの世に誕生した赤ん坊も、いずれはみんな死んでしまうんだよ。
死ぬからこそ、人は生きていけるんだよ」
いつの間にか、浅田のおっさんの喋り方は仙人のようになっていて、オレは小学生のチビになっていた。
「じゃあ、うら先生も、みんなみんないつか死んじゃうの?」
「そうだ、みんないつかは死んでしまうんだ。
大事なのは死ぬことではない。生きている間に、どれだけこの世に足跡を残していけるかだ。
それも真っ直ぐな足跡を。
それも真っ直ぐな足跡を。
真っ直ぐな足跡を」
目覚めた瞬間まで、仙人となった浅田のおっさんの最後の言葉が耳にこびりついていた。
これが人生で最後に見た夢となった。
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