連載第52回 第三章(十六)
【ここまでのあらすじ】覚せい剤に溺れ、罪のない3人もの命を殺めた元ヤクザの藤城杏樹は、☓☓拘置所内の四舎ニ階、通称『シニ棟』で死刑の執行を待つ日々を送っていた。

最後の手紙を受け取ったのは、横山のやっさんの事件を新聞で読んだ日だった。
明日で御用納めとなる12月28日。やっさんはやってくれた。再び生きて娑婆へと帰れたというのに、また身柄を拘束されたというのだ。
数行の短い記事だったので、詳しい内容はわからなかったが、──二十八年前の逆恨みか!?──と見出しを太字で書かれた事件は、やっさんが引き起こしたものに間違いなかった。
その記事によると、28年前にやっさんが逮捕される決め手となった証言をした女性を、刃物で傷つけたというものだった。
幸い殺人未遂とあったので、相手の女性は死なずに、やっさんは想いを完遂することなく終わってしまったようだった。
それはよかったと思う。不幸中の幸いだ。だけど、やっさんにとってはどうだったのだろうか。
本当にやっさんは28年もの間、その女性を恨み続けていたのだろうか。おしゃべりなくせに、そんな話は一度たりとも口に出したことはなかった。言葉通りそれは、時を超えた怨念であろう。
被害者の女性にとっては、とうの昔に忘れ去った出来事かもしれない。だけど、やっさんは違う。昨日のことのように恨み続けていたのだ。
やっさんが68歳だった、ということも新聞で初めて知ったけど、もし本当に無実であれば、28年もの間、やっさんがどんな想いの中で生きていたのかわかる分、その無念だってよくわかる。
28年もの間に、殺されてしまっていたとしても、なんら不思議ではなかったのだ。28年前といえば、当時のやっさんは、ちょうど40歳になるわけで、青春こそ終わって久しいとはいえ、男盛りの働き盛りだ。そこから不当な逮捕で拘束された挙句、いつ殺されてもおかしくない状況にさらされて、28年もの間、怯えに怯え続けていたのだ。
殺ったくせに恨んでいたのであればこの記事通り逆恨みだが、もしも本当の本当に殺っていないのであれば、女性というのが後味の悪さを残すが、殺しても殺したりん相手ではなかろうか。
やっさんはこの28年間で、歳月だけではなく、数多くのものを失ってしまった。
すべてがその女性のせいではなかろうが、それ証言が決め手で逮捕されたのであれば、恨むなというほうが酷だろう。
それにしても、やっさんの執念は凄まじい。もしかしたら、やっさんはその女性を殺(あや)めんがためだけに、必死になって冤罪を訴え続けていたのだろうか。
とてもじゃないが、オレにはできぬ芸当だ。いくら殺しても殺したりん人間でも、28年間忘れずに恨み通すことができるだろうか。
時は思い出を風化させる。姿形も変えていく。時の中では、憎しみさえも流れに杭(あらが)いきれず、薄れ去っていってしまう。それは何も憎しみだけではない。悲しみさえ、時は忘れさせてくれる。
人は色々な事を忘れて生きていけるから、不幸からでも幸せになれるのではないだろうか。笑える日がくるのではなかろうか。
それが人間だ。それが人間の営みだ。
だけどやっさんは恨み続けた。時の流れに逆らいながら、28年間、恨み続けた。
恨むだけではない。オノレの無念を晴らすために、その一撃を行動に移したのだ。
やっさんの取った行動を称賛する気はない。馬鹿だな、せっかく生きて娑婆に帰れたというのにもったいない、と思う。
だけど、やっさんが本当に無実だったとしたら、やったことはいけないことだが、その気持ちはわからないこともなかった。
凄まじい執念を見せつけられたおかげで、その日、やっさんのことばかりを考えて過ごしていた。
けれど夕刻に受け取った手紙を読んで、やっさんどころではなくなってしまった。
そういう手紙は、決まっていけ好かない担当が持ってくる。
何が気に入らないのかわからないが、コイツの行動一つ一つがいちいちカンに触り、人の気持ちを逆なでする。
手紙はヒカリからだった。
オレがもっとも、この世で愛した人からだった。
そして笑いあったことも、ケンカしたことも、笑顔も涙もときめきも、すべてが思い出に変わろうとしていた。