連載第44回 第三章(九)
【ここまでのあらすじ】覚せい剤に溺れ、罪のない3人もの命を殺めた元ヤクザの藤城杏樹。一審で死刑判決が下されると、幼なじみの兄弟分龍ちゃんや恋人のヒカリは必死になって控訴をすすめるが、杏樹は死刑を受け入れることを選択する。そして死刑判決が確定した杏樹は、多くの死刑囚が収容されている☓☓拘置所内の四舎ニ階、通称『シニ棟』へと送られたのだった。

まったくの空白から言葉をつないで、ひとマスひとマス埋めていく────この作業の繰り返しが、やがて意味のある言葉となり、自分の編み出した創作となり、小説という形となって読む人に感動を与えたり、笑いを引き出したり、涙を誘ったりする訳だけど......。
だけど......まったく書けない日々が続いている。
書いている端から忘れてしまいそうな空白が続いている。3行ほど書いた小説は10編にも及ぶが、どれもこれもそこから一向に進む気配がない。
獄中にいながら本を出したことで、調子に乗って自分のことを心のなかでは"先生"と呼んでいたけれど、最近では、その心の中の行為ですら(厚かましいのでは......)と考えるようになってきた。
この"先生"、実は才能がなかったのではなかろうか、とは考えない。もしも考えたら、答えはすぐに見つってしまい、気が滅入るだけだろう。そこで、気分転換に、小説ではなく他のものを書いてみることにした。
............。
考えた末、自分が死んだ時のための遺書を書いておくことにした。
ギャグではない。本当の話だ。我々死刑囚は、こうやって前もって遺書を作成しておき官に提出しておけば、骨となって再び娑婆へと復帰した時に、遺骨と一緒に手渡してもらえることになっていたのだ。
これがいけなかった。
遺書を書いているうちに、いよいよ哀しくなってしまい、とてもじゃないが、小説を書くどころではなくなってしまったのだ。とんだ気分転換である。トホホ......。
そもそも、遺書を書いて気分転換を図ろうと考えること自体、どうかしていたとしか思えない。気分転換にゴルフとかパチンコとか、カラオケなら聞いたことあるが、遺書で気分転換とは、初めて聞いた。
そんなことをしている間に、無為な時間は過ぎていき、もちろん空白のマス目が埋まることもなく、ただ日だけが巡り、カレンダーがまた金曜日を指していた。
一ヶ月のなかで、オレが般若心経を唱える日が、また一日増えてしまった。
同士────とは、とてもじゃないが呼びたくはないが、それでも地獄のようなこのシニ棟(四舎二階)で、同じ麦メシをボソボソと喰らいあった仲だ。哀しくないといえば、嘘になる。
今朝、宮崎の死刑が執行された。
だけど彼は、そんな哀愁を微塵も抱かせぬほど、不気味に逝ってしまった。
オレは、彼のことを少しばかり、あなどっていたかもしれない。
なにが「こわくないよよよ~ん」だ。いざその場になれば、先に逝った奴らと同じように、やっぱり取り乱して奇っ怪なことを叫び倒すであろうと思っていた。そんな宮崎の姿を、オレはとくと拝んでやるつもりだった。
けれども、彼はやはり彼だった。最期の最期まで、狂人ぶりを貫き通してくれた。彼の生き様は演出ではなく、ナチュラルだった、ということが、今朝こうして証明されてしまった。
彼は笑っていた。手を振っていた。南側の扉へと吸い込まれていく時に、オレに向かって手を振っていた。あるべき怯えも、気負いも、人間としてそこになければならない感情がすべて、宮崎には欠けていた。
あるのは、薄気味悪い、いつものあの笑顔だけだった。
そんな宮崎の立ち振る舞いを見ていると、今年の正月に、冬陽さす運動場でコイツが言っていた通り、もしかしたら本当に殺されないのではないか、とまで思ってしまった。
だけど、開かずの間に吸い込まれていった宮崎は、やっぱりニ度と四舎二階には、帰ってこなかった。
その夜、オレは宮崎の夢を見た。
奴はあの気持ち悪い微笑みを浮かべたまま、処刑台で吊るされていた。
そして、オレと目が合うと、「死なないよよよ~ん」と言いながら、ゆらゆらと揺れていた。
よよよ~ん、と言っているうちに、首がろくろ首のように伸びていき、鎌首をもたげた蛇のようにこっちへと向かって来そうになったので恐ろしかった。
死なないよよよ~ん 死なないよよよ~ん 死なないよよよ~ん
もしかしたら、奴は本当に死んでいないのかもしれない。
写真はwikipedeia「Cheshire Cat」より引用(リンク)