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連載小説『死に体』新章第三章スタート!

第36話 奴の右目にボールペンを突き立てなかったことを心底後悔した

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 この1年。事あるごとにオレと鬼ガワラはぶつかった......というよりも、いちいち奴のほうがケチをつけてからんできた。

 オレに対してだけではない。他の運動メンバー。浅田のオッサンにも、宮崎にも、横山のやっさんにも、オノレの虫の居どころ次第でからみついた。

 もちろん、刑務官や当所執行の雑役にだってだ。

 それはもう、鬼ガワラは、見事なくらい人々から嫌われていた。

 しかしそれだけではない。それと同じくらい恐れられていた。

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 鬼ガワラは、たった1人で抗争相手の事務所へと乗り込み、その場で4人のタマ(命)を上げ、オノレも4発の鉛を、その体躯にぶち込まれたが死に至らず、ここ☓☓拘置所でトドメを刺されるコトになった。

 極道界では、いわば生きる伝説として語り継がれている人物だった。

 伝説と現実は、こうまで違うものなのだろうか。それはある意味、人間不信にさえ値する。何を隠そうオレも鬼ガワラとここで"顔がつく(面識ができる)"まで、奴のことを尊敬していた。

 実話誌で連載されていた、伝説の極道・鬼ガワラを尊敬していた。凄い人もいるもんだ、とすっかりあざむかれ、だまされていた。

 あれ以来、あの雑誌のいうことは何一つ信用していない

 何が伝説のヒットマンだ。伝説は伝説でも、鬼ガワラの場合、違った意味でハタ迷惑な伝説だった。

 鬼ガワラは、なぜここシニ棟でそんな伝説を築き上げることができたのか。

"普通レベル"の人殺し程度の死刑囚が、鬼ガワラと同じ立ち振る舞いでここで暮らそうとすれば、他の死刑囚も黙ってはいない。

 3日もせぬうちに、その者は骸となって、娑婆へ帰っていくであろう。

 ここは、出所することを目的として務めている刑務所などではない。散々なことをしでかしてきた者が殺されるためだけに集められた場所なのだから、誰だっていまさら失うものなど何もない。一人ひとりが社会で地獄絵図を描いてきた者ばかりなのだ。

 そんな人間の皮を被った畜生どもが、鬼ガワラの前では猫の皮を被っている。

 鬼ガワラの勲章や武勇伝を聞いて、ためらっているのではない。鬼ガワラの体躯に恐れをなしとるのだ。

 鬼ガワラは、まるで"動く小山"だった。いくら腹立たしいとはいえ、小山の様な虎に踊りかかっていけるか。もしかしたら、虎よりも強い可能性だって十分秘めている相手に、そうそう挑んでいけるか。顔だけで、畳半分のスペースはありそうなくらい、デカいのだぞ。そんな相手に誰が立ち向かえるというのか......。

 オレだ。オレが立ち向かおうとしていた。

 ズボンのポケットに忍ばせた道具(ボールペン)だけを頼りに......。

 翌日、オレは整備隊の「運動用意っ!」の号令に立ち上がり、腹を決めて運動場へと向かって行った。

「おうっ、藤城くん、おはようさんっ」

 こういう時に限ってこうだ。

 普段はどんなことがあっても挨拶なんて絶対しない鬼ガワラが、不釣り合いな愛想なんか振りまいてきやがる。

 そんな気持ち悪い態度で接されると、急に気が抜けかけてしまうではないか。萎えそうになる怒りを、オレは奮い立たせた。

「おいっ、昨日入房する時のあれ、オレに言うとったんかいっ」

 挨拶も返さずに、オレは畳半畳はありそうな鬼ガワラの顔を見据えた。

「はあ? 入房する時? 運動の後の?」キョトンとして見せる鬼ガワラ。

「なんかゆうとったやんケッ。『最近の奴は、挨拶もろくにできんのかいっ』とかなんとかって、アレ、オレにゆうとったんかいっ!」

 ズボンのポケットに隠し持っていたボールペンをポケットの中で握りしめた。鬼ガワラの表情が少しでも変わり、『さっきからオドレ、誰に向こうて口きいとんじゃい!』となったら、ためらわず右目をえぐり抜いてやるつもりだった。少しでも躊躇すれば、間違いなくコチラが殺られてしまう。

「ちゃうちゃうちゃうちゃう、ちがうがなっ! 面会に来よったワシとこの若い衆のコトやがなっ。なんでワシが、自分のコト言うねんなっ」

 小山が噴火したようなオーバーリアクションで、鬼ガワラは否定した。ひん曲がっているクセに根が単純に出来ているオレは、拍子抜けしながら握りしめていたボールペンを離した。

「えっ、なあんや、そうですのっ。てっきり、自分のコトゆわれてんかなって勘違いしてもうてましたわ。生意気言うて、すいませんでしたっ」と、明るい声で詫びを入れてしまったではないか。

 やはり、こんな生活を強いられているおかげで、少しばかり神経質になり過ぎてしまっているようだ。誤解が解けて、打ち解けてみると、案外いい奴にさえ感じてしまう。はやまって、ボールペンを突き刺したりしなくて、本当によかったよかった......。

 と思ったのも、ほんの1日だけだった

 次の日、昨日のノリでオレのほうから、「先輩、おはよやすっ」と挨拶したのだけど、「フンッ!」と横を向かれ、思いっきりのフル無視をくらわされてしまったのだった。

 こちらから清々しく挨拶してしまったコトも後悔したし、『すいませんでしたっ』と謝ってしまったことも悔やまれた。

 ボールペンを右目に突き刺さなかったことを心底後悔した