>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その28 ~切り札~
日本の裏社会で今、なにが起ころうとしているのか?

山口組実録シリーズ 「菱の血判」その28 ~切り札~

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関西は関西、関東は関東


 そもそも独立した指定暴力団であった国粋会が山口組入りするキッカケとなったのは、2001年頃に起きた国粋会の内部抗争であった。古くから続く国粋会という組織の形態は、会に属する各二次団体によって運営される連合体的な形態であったが、当時の国粋会四代目はそれを廃して、自らを長とする中央集権的ピラミッド組織を構築しようとした。各団体の組長との間に親子盃を行い、自らを親分、各組長たちを子分として親子関係を確立し、それを理由に各組長たちの団体を横並びの連合体からタテ型の組織形態へと移行させようとした。

 これに対して、各組長から反発が起こり、四代目側と連合維持側とで内部抗争が勃発した。この動きはまさに、今の六代目山口組の離脱分裂劇と酷似している。六代目山口組内における名古屋支配管理体制という極端な中央集権的ピラミッド組織の構造に見切りをつけた山健一派の離脱行動とほぼ同一のものである。

 当時の国粋会の内部抗争(2001~03年)は拳銃抗争にまで発展し、死傷者が続出した。この内部抗争を仲裁和睦に導いたのが現・山口組六代目(当時五代目山口組若頭補佐弘道会会長)である。のちの山口組六代目、そして、のちの六代目山口組若頭(当時の弘道会若頭)が、当時の国粋会四代目と実に親しい間柄であったことが、国粋会四代目の思想に強い影響を与えていように見受けられる。国粋会四代目が敷こうとした中央集権的ピラミッド組織と名古屋支配管理体制は、それほど酷似していた。

 国粋会内部抗争は、山口組の威を背景にした四代目側有利で進展した。連合維持側の組長たちだけが逮捕・引退に次々と追い込まれ、連合維持側は完全に戦闘力を失い、内部抗争は終結した。そして、国粋会四代目は、名古屋支配管理体制の様な中央集権的ピラミッド組織を国粋会内に完成させたのである。その後に、国粋会は六代目山口組に加入した。そのような経緯から、国粋会は、東京派閥でありながらも六代目山口組内で名古屋一派の重鎮なのである。 

 ご存知の通り、五代目国粋会は山口組での在籍年数が他の直系団体よりも短い。ヤクザ暴力団組織は年功序列ではないとは言え、他の名門団体をゴボウ抜きにして五代目国粋会が最高幹部職に就いている事に疑問を持つ方も多いだろう。さらに、五代目国粋会内から、落合金町連合という新直系団体も誕生している。この流れを不思議に感じる方も多いだろう。その疑問と不思議の答えは、先に記した通りである。追記すれば、山口組六代目の威光によってスピード昇格したのは弘道会だけではないということである。

 前後するが、内部抗争終結当時の山口組との関係は、組織や団体同士の付き合いというよりも、国粋会四代目と山口組六代目(当時・五代目山口組若頭補佐)と二代目弘道会会長(当時・弘道会若頭)との人間的付き合いのほうが濃かった。そして、国粋会四代目は金町一家の出身であった。この金町一家がのちの落合金町連合の"金町"である。山口組六代目は五代目国粋会から、より名古屋色の強い金町一家を含めた落合金町連合を直系団体としてわざわざ昇格させた。つまり、落合金町連合は、六代目山口組内で幹部職に就くことなくひっそりと身を隠した名古屋一派の精鋭部隊としての性格が色濃い可能性が強い。

 六代目山口組から離脱した直系組長や多くの組員たちは、神戸一派の掲げる主義主張への賛同もさることながら、神戸一派との古くからの人間関係に誘引された面もある。しかし、六代目山口組の中には、神戸一派との古くからの関係がない組織や組員たちもいる。それが五代目国粋会と落合金町連合である。

 現在、六代目山口組では、各組員たちの離脱・移籍などにより組員数が急激に減少しているが、五代目国粋会、そして、落合金町連合のような名古屋一派の精鋭部隊の存在を忘れてはならない。この2団体は六代目山口組内で実に不気味な色合いを持つ組織である。しかも、この2団体は、日本の首都である東京に君臨している。そして、関東圏には山口組六代目や六代目山口組若頭が後見している別代紋の組織が他にも存在している。三代目弘道会会長と兄弟分の組織も関東圏にある。六代目山口組の関西圏における影響力は低下したかもしれないが、とはいえ、その実質的な組織力は軽視すべからざるものがあると言えよう。


(取材/文 藤原良)