>  > 山口組実録シリーズ 「菱の血判」その22 ~筋と役目~
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山口組実録シリーズ 「菱の血判」その22 ~筋と役目~

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組長という役目、統括という役目


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『司忍組長と高山清司若頭の六代目山口組』溝口敦著 竹書房刊

 もう一度繰り返すが、神戸山口組も六代目山口組も両方とも山口組である。したがって神戸山口組もまた、山口組の系譜を引くレッキとした組織なのである。その上で、神戸山口組は、過去の間違いや行き違いによって解散状態になってしまった組織を丁重に山口組に復帰させている。神戸山口組と六代目山口組という、2つの山口組が存在してしまった原因の中には、過去の間違いや行き違いについての両者の見解の相違という部分もかなりある。だが、それは、間違いを正したい者たちの集団と、間違いを間違いのままにしておいたほうが都合がいい者たちの集団があるというだけのことである。もちろん、そのどちらも山口組なのである。

 2つの山口組が存在しているのは、山口組六代目のリーダーシップに問題があることは言うまでもない。「まとめきれていない」ということである。

 また、六代目山口組には"統括委員長"という役職がある。"統括"という言葉には、「バラバラのものを、ひとつにまとめる」という意味がある。「さまざまな意見をまとめること」を「統括する」と言う。山口組の役職は、相撲の番付のように、「上から数えて何番目」というような意味ではない。若頭>本部長>若頭補佐 という序列がないわけではないが、若頭には若頭の、若頭補佐には補佐の役目と仕事があるのだ。そして、統括委員長には組長のリーダーシップを補佐し、組員を統括するという大きな役目がある。つまり、山口組六代目のリーダーシップの低下には、統括委員長の力不足も関係があったと言える。
 
 組織を統括するためには、いつもいい顔ばかりしていられるわけではない。時には組織のために自分自身が悪者にならなければならない場面もある。ここでいう"組織のため"とは、やみくもに上長の機嫌や顔色ばかりをうかがうことではなく「組織のブランド力を高め、組織に関わる者たちが発展、成長させる」ことなのである。言わば、自己犠牲の精神と言えるかもしれない。そのためならピエロにならなければならない日もあれば、組織の長に対して果敢に物申さなければならない日もあるだろう。

 統括という大任を担う者は、上に立ち引率するスタイルよりも、むしろ、縁の下の力持ち的な心構えを持っていなくては務まらないかも知れない。人知れず雨にうたれ、人知れず夜に目覚め、人知れず誰かを助ける。たとえ、悪役になったとしても、そうすることが役目なのかもしれない。つらい立場に立たされることもあるかも知れない。が、いつの日か人々は、「あの人がいてくれたからこそ、今の組織があるんだな」と感謝するだろう。
 
 現在の六代目山口組統括委員長は、残念なことに完全に孤立してしまっている。移籍に次ぐ移籍、脱退に次ぐ脱退が急増し、六代目山口組の直系団体のなかには人員減少の一途をたどり、団体としての維持もままならないどころか、その体裁も風前の灯となっている組織もある。今こそ統括委員長としての腕の見せどころなのかもしれないが、こんな孤立状態では腕のふるいようもないだろう。 

 統括委員長に打開案はないのだろうか。神戸山口組を批判している暇があったら、今こそ真剣に自らの組織の事を考えて行動しなくてはならないのではないだろうか。他者を批判することは統括委員長の仕事ではない。

 統括委員長が山健組出身者だという事実を知っている人も多いだろう。彼は気心知れた山健組を離れた。現在は孤立状態にあるとはいえ、彼は六代目山口組に残留している。彼が、旧知のよしみである山健組を離れてまで六代目山口組に居残り続ける理由は何だろうか? 六代目山口組がいいのなら、その想いを真摯に組員たちに語れば事足りるのではないだろうか。そうすれば、自分と同じように組員たちが六代目山口組に残留してくれるのではないか。


(取材/文 藤原良)


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